雲の生まれるところ(オンラインのお店)
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雲の生まれるところ(インスタグラム)
2022.4.16.sat
暑くなったり、少し冷えたり。今朝は少しひんやりしている
娘が小学校に通いはじめて一週間が経った。昨夜、寝る前に「学校どう?」と聞くと「たのしい!」と弾んだ声。「何がよい?」と聞くと「先生を好きになってきた」とのこと。本当に前向きな人。わたしは彼女の性格が大好きだ。
彼女のとびひは治ってきたが、私の痛みは我慢できなくなり病院へ。イタミさんたちの暴動を抑えてもらおうと高額の薬を覚悟していく。やはり炎症の数値が上がっていて、変形しないためにもと、まずは二週間分の新しい薬を飲むことになった。効き始めるのは二週間後、これまでの一ヶ月よりは早いけど、しばしの我慢。
イタタの朝に、なあやさんの日記に散歩。体が痛くて動けなくても、心は元気でよかったと読みながら思う。友達がくれるパワーに感謝。わたしも痛い日記ばかり書いてないで、もっといろんなことを記していきたい。
2022.4.13.wed
ここのところ晴れの日がつづき、ぐんぐん気温が上がっている
ホハルが寝て、久々にパソコンに向かう。小学校がはじまり、何か仕事をと思うのだけど、今のわたしに何ができるのだろうと気持ちのブレーキがかかる。やはり、飲み始めて効くまで一ヶ月かかる薬ではなく、高額でも早く効く薬にすればよかったのかもと今頃考えている。でも、自分が決めたことなのだから、あともう少し様子を見て、体調が少し楽になるようにと願うばかり。それにしても、朝も晩もあちこち痛い。季節の変わり目のせいではなく、自分の体のせいなのだと、やっと気がつく。
それでも、やっぱり季節の変わり目。ホハルがこの時期だけ出るアトピーが悪化。きっと新生活で疲れも出たのだろう。しんどいけど、もうすぐ治るから頑張ろうねと薬を塗る。もうすぐ治る。わたしも、そんなゴールがあれば気持ちがすっきりするだろうに。すっきりしたら、弱いことをここで書くこともないのにな。ぶつぶつ、ぶつぶつ独り言を、ここで書くこともなかっただろうな。
2022.4.10.sun
昨日はぐんぐん気温があがったので、今日も暑くなるのだろうと想像する朝
ここのところ夜中も朝も体が痛くてぐっすり寝た気にならない。起きてから薬を飲んで、しばらく動けないとホハルにいうと、そんな時間に本を読んだらいいのだと言われたのだが、やっぱり痛くて、なかなかそんな気持ちになれない。
2022.4.9.sat
ひんやりの朝、日中にかけて気温はぐんぐん上がるのだろう
七日に入学式、昨日はランドセルを背負って初めての登校だった。家から学校まで10分ぐらいと、とても近い。自分はあんな坂、こんな坂と30分ぐらいかかったので、10分では登下校に出会うものも少ないのかなと思うが、それでもなんでも、いろんなものを目に心にゲットしてくれることを期待している。一緒のクラスになりたいと言っていた子とは別々のクラスになり、残念に思うのは親だけでホハルはあまり気にしていない。それより先生が面白い先生だろうかということの方が気になるらしい。この前向きな性格を見習いたいとつくづく思う。どこに行っても楽しんでいる我が娘、好奇心の翼をひろげてほしいと心より願う。
2022.4.5.tue
朝六時前、これから暖かな日が続くことを想像しつつ
昨日、友人が二歳の子を連れて、家人に用事で家に来る。我が家の六歳さんは一緒に遊べることを思い、楽しみにしていた。二歳さんが目につくものをどんどん出していくことに対しても「これはこうするのよ」とワントーン上がった声でゆっくり顔を覗きこんで話してあげる。でも、二歳さんは聞いているのかいないのか、次のものを目指してまっしぐら。そんな様子を見ていて、兄弟のいない彼女だけど、ちゃんと小さい子を見てあげられることを思う。そのうち、我が道ずんずんの二歳さんにお手上げになったのか、ひとりでぼんやりしている様子も見え隠れ。うん、ようがんばりました。ほはるが寝てから考えるのは、家人の実家に行った際に、従兄弟のねえちゃん、にいちゃんが「ほはるちゃん、こうだよ。ほはるちゃん、こっちだよ」と優しく声をかけてくれていたこと。きっと、彼女の中にその時の何かが生きているのだろう。ありがとう、めいっこちゃん、おいっこくん。
そして、イタミさんのことも記録しておこう。やはり、あちこちで小暴れのイタミ家の人々。朝五時すぎに目覚ましをかけても、なかなか布団から起き上がれない。20分ぐらいして、やっと起きてから薬を飲んでもすぐに効きはじめるわけではなく、ステロイドをひとつ増やすかしばらく悩む。毎日、書いているイタミのノートも書きはじめて一年経った。一年前の四月も、毎日こまごま書いているのだけど、あの時は薬の飲みはじめで、今はしっかり飲み続けているから同じだと思うことはできない。どうなっていくのかなあと思うこの頃だけど、しんどいのは自分だけじゃないのことを思い、気持ちを切り替えければ。イタミさん、かかってきなさい。でも、お手やわらかにお願いします。
2022.4.4.mon 晴れ、朝晩冷えるので桜はもうすこしもちそう
四月に入って、学童保育に行く一年生の子供たちが、お父さん、お母さんと小学校に向かっている。わたしも仕事をしたい、せねばと思っているから、その行列が気になって仕方ない。しかしながら、戻れる仕事もなく、体の痛みがあるから、いざ仕事をして迷惑をかけたらどうしよう、家のことができなくなったらどうしようと心配が募る。こんなわたしに何ができるのだろうと悩むこの頃。悩んでいても仕方ない、気持ちがこんなだから、体が痛いのかもしれないとも考える。
ほはると天神さんに行って一緒にお参りをしていると、彼女は思い出したようにもう一度手を合わせ「おかあさんのいたいのがなおりますように」と声にする。わたしも、もう一度手を合わせ「今の自分に合う仕事に出会えますように」と心で唱えた。
2022.4.3.sun 雨の降る日、桜のことを思う
知人の誘いもあって、四月から一年町内の班長をすることにした。役員の方々ほど責任は重くないのかもしれないが、わからないことだらけだから不安もある。この不安な気持ちも「新たな経験だから楽しみだ」と考えることができれば気持ちが軽くなるのにと自分の性格が嫌になる。娘ほはるも会議に一緒に行こうと誘うと、わたしには「はんちょう」、自分は「はんばーぐ」、家で本を読んでいる家人には「はんばーがー」という名札をつけて楽しそうにしている。彼女は本当にわたしにないものを目一杯持っていることを改めて思う。
そして、彼女は会議で伝えたいことを胸に秘めていた。終わってから顧問をされているおじさんに言えるチャンスをずっと狙っていたのだけど、なかなか言えず、でも言いたくて仕方ない。家に戻ってもおじさんが帰ってくるのをずっと待っていた。そして、町内の方に配る地図が足りないので、もう一度会館に行った際、おじさんのところに駆け寄り、家の前に流れる川にたくさんのゴミが捨てられていることを伝えた。ずっとずっと気になっていたから、すっきりとした表情。小雨降るなか、彼女がさす黄色の傘が踊っているように見えた。
2022.4.2.sat 風が冷たく感じる日
桜満開。明日、明後日は雨の予報も出ているので、今日のうちにと実家近くの桜とともに、ほはるの入学式の服にランドセル姿の写真撮影。にっこり笑顔が照れ臭いのか、ぎこちない顔の六歳さん。変な顔はなんのそのなのに、そんな年頃なんだなとつくづく思う。
2022.4.1.fri 昨日はずっと雨が降り、ひんやりの朝
体の痛みで目覚める朝。まだまだ、春へのバトンは渡せていないのだろうと、自分に言い聞かせる。
昨日は、最後の預かり保育で、幼稚園生活が終わった。しみじみといろんなことを思い出すのはわたしだけなのだろうか。ほはるは、後ろを振り向くことなくぐんぐん前に進んでいる気がした。さあ、四月。くぎりとはじまりがあることをありがたく感じて、わたしもわたしの365歩のマーチを口づさみ、しっかり前へ進んでいきたい。
2022.3.24.thu 昨日は雨、今日は降らず
ほはるさんが卒園して、一週間。今、カレンダーを見て、一週間が経ったことに気づいた。気持ちでは幼稚園の人ではない気がしていながらも、今日は預かり保育で幼稚園へ。友達がいるかわからないけど、先生に会っておいでのつもりで申し込んでおいた。行くと担任の先生がいて、クラスの子がいて。幼稚園に通っていた時よりも、友達と遊んだ話をしてくれた。嬉しかった。三寒四温で、やっと春が来た気がした。
二月ぐらいから喉の調子が悪く、耳鼻科で薬をもらうがすっきりしない。そのうち、体がまた痛くなって、季節の変わり目だからだと自分に言い聞かせてきた。その後、心配事が続いて、なかなかすっきりしない喉を鏡でみると白いなにやらがぶつっとある。なんだろう、もかして、いやいや、と心配して耳鼻科に行くと、問題はないとのこと。しかし、ストレスとか疲れでできるものだと先生が言った。喉の不快も日にち薬だと自分に言い聞かせて、ワクチン接種の三回目。その後、やっぱりイタミさんたち大暴れ。と、そんなこの頃だった。
今も進行中ではありながら、なんとなく、待ち望んでいた季節の変わり目の切れ目がすぐそこまで来ている気がした。ほはるが友達とたのしく遊んだ話こそが、私の季節の変わり目の終わりような。だから、あともうちょっとだけ、あともうちょっと、今のままで様子をみようと思う。
2022.3.16.wed 昨日よりひんやりの朝
今日は家人の誕生日、そして明日は卒園式。ケーキにご飯。たいしたものはできないが、献立と段取りを考えなければという思いをころころと転がす。しかしながら、朝は体が痛いこの頃で、なかなかいろんなことがすすまない。そんな中、なあやさんの日記を覗くと「腹八分目食堂」をしたいと書いていた、そう言えば、まだ娘がいない大阪市の家に住んでいた時「いつもの食堂」と自分で名づけて知り合いの人を招いていたことを思い出した。
2022.3.15.tue 晴れ、朝は曇っていた
今日は家人と結婚した日。2010年だったから、もう。2010年だったから、まだ。とにかく、あの日からはじまり、今にいたる。
二月初めから、喉のあたりがすっきりしない。内科と耳鼻科で薬をもらい飲み続けているが、やっぱり同じ。中頃になって、イタミさんたちが暴れ出し、「ちょっと落ち着いてくださいよ」というように薬を増やすこともひとつだと先生は言った。神様が見守ってくれていると思っていたけど、結局は自分自身のこと。寒くなりはじめ、梅雨の時期、季節の変わり目は誰もが調子を悪くするというし、今のままで様子を見ることにした。しかしながら、季節の変わり目って、いつ終わるのだろうかとここのところずっと考えている。
いろんなことがありながら、あと数日で娘が卒園式を迎える。いろんなことがありながら、これからも我が道を歩いているのだろう。
2022.3.1.tue.am 午後に雨が降るらしい
三月になった。ついに。もう。昨日は二十八日だったと思うとこのはやさも仕方ないとも感じる。「春は苦手」なんて言っている場合ではない。止まってしまっていること、四月から小学生の人の準備も進めなければならない。自分の中ですっきりしないことがあるのなら、吐き出すためにも書き出してみようかとも考える。
昨日は「雲の生まれるところ」の納品として、くまざわさんのブローチと葉書が届いた。こんな立ち止まってばかりの自分のために気持ちと手を動かしてくれる人がいることに感謝しかない。そして、ずいぶん会えていない人から手紙も。「人」がくれる力の大きさ強さ深さを感じる。さあ、三月。自分に向き合い、そして外に目をむけていこう。よし。
2022.2.26.sat 晴れ
「神様がそう言ってると思いましょう」
先生はわらって言った
一ヶ月、二ヶ月と飲み続けていた薬が
もう手に入らないことを
不安がっているわたしに
「神様がそう言っていると思って、なくしても大丈夫です」
冬に痛みがひどくて
病院に飛び込んでくる人が多い時期
痛みが穏やかだと言ったからかもしれない
「まあ、こんなもんかな」と
思うようになったと
わたしが笑ったからかもしれない
神様が応援してくれていることを信じよう
一ヶ月も前に薬のことを書いて、そのまま閉じていた。そして、今、開いたのは気持ちもぱたんと閉じてしまいそうになったから。深呼吸は吐き出すことも大切だということで、ぶつぶつぶつ。「だれかに会いたいな。わあって話して、大笑いしたい」わあ、わあ、わあって。ここのところ、喉が不調で今日はひとり家でぼんやり。SNSを覗くと、またひとりを感じる。指と目だけじゃなく、誰かの呼吸を感じたいな。と、ひとりごとはここまで。もう春。春は苦手。
2022.1.13.thu 曇り
風が強く吹いている。わたしと同じ年ぐらいの我が家はふっとんでしまうのではないかと、心配になるほど。
ホハルと一緒に読んでいたA.A.ミルンの「クマのプーさん」の最終章を読み終えた。最後のひとつを一緒に読むかとホハルにも聞いたが、断られてしまった。プー、コブタ、ウサギ、イーヨー、フクロ、カンガとルー、そして、トラーといった仲間たちと別れるのが嫌だったのだろう。本を読んで、自分は誰だろうかという話しもした。ホハルは自分がトラーだという。わたしはコブタがいいなと言って、お父さんは、おばあちゃんは、おっちゃんは、と話が尽きない。そして、ひとりで最終章を読んだ。「クマのプーさん」は、A.A.ミルンが自分の子供であるクリストファー・ロビンのために書いた話。子供部屋に集う、ぬいぐるみたちを登場させた話であるからこその最終章だった。読み終えて、そうかホハルはクリストファー・ロビンで、自分もまたクリストファー・ロビンだったことを思う。彼女はそのことに気づいているから、読みたくないと言ったのかもしれない。幼稚園から小学生になる今だからか、まさに最終章の彼と重なった。
わたしが「クマのプーさん」が好きなのは、お父さんが我が子に話をしてあげるのがよくわかる一冊目。そのことがあるからこそ、すべてのことに愛を感じる。ほほえみを思う。ここから歩み出す彼女に、いつまでも仲間達が一緒にいることを教えてあげたい。いつでも、仲間達に会えるのだということを胸の中に留めていて欲しい。
2022.1.12.wed 雪/曇り
朝に雪。昨年はほぼ降らなかったので、こちらではめずらしい。でも、めずらしいと思っているのはわたしだけで、実は知らない間に降っていたのかもしれない。
冬休みがはじまり年末年始を家人の実家で過ごし、よほどたのしかったのか、家で本を読んでいたいのか、幼稚園に行くことをしぶっていたホハル。しかし、行ってみると楽しかったようで、午後はテンションがあがりっぱなし。わたしはと言えば、スケジュール帳に書いた一月にすることを何度も何度も眺めているままで、すすんでいない。動かなければ消せないというのに、ただ眺めている。
そして、ちょっとひと息。友の日記をのぞいていたら、まさにその彼女よりメッセージが届く。風に乗って、紙ヒコーキが自分のもとに舞い降りてくることを思って読みつつ、同じ空の下にいることを嬉しく感じる。さぁ、あの人に手紙を書こう、あの人にも返事を書こう。あそこに電話をして、あれもしたい、これもしたい。そして、あの人に会いにいきたい。気持ちの歯車が回りはじめた。わたしの新学期もはじまったようだ。
2022.1.11.tue 雨
風邪をひいて体調を崩してから、またこの日記を書けなくなってしまっていた。体調のせいだけではなく、書きたいことがまとまらなかったせいもある。今日から娘は三学期として幼稚園に向かった。わたしもまた、自身の道を歩みはじめたいとパソコンをひらく。
2021.12.8.wed 曇り
昨日は一日しっかりと雨が降り、今日は重たい雲を頭の上に感じながら過ごした一日だった。ずっと続いた咳も土曜日ぐらいからやっとましになり「しんどかったね」と、ほはるさんとふたりでいたわり合う。三人の家でふたりがこんこんずるずるとしていたのだけど、あとひとりの家人にうつさず治って本当によかった。イタミさんの方はというと、右手の手首にも来ていることを先生に伝えると、「ここが大元だから」と言って右手の真ん中を指差し、その筋の上下は痛くなるのは当然のように話してくれた。当然だと思うと、不思議とイタミさんのことを受け入れることができてしまう。これからもずっと共に生きていくんだから、まあしゃあないと。
ということで、物語を考える。「右手の真ん中にいるのがボスで、その上にいる中指の第二関節の赤いのが下っ端。そして、あたらしく現れた手首の野郎が怖いもの知らずでボスの座を狙っている」、なんでもおもしろおかしく考えたらいいよね、なんて言って娘に笑って話す。そんな感じだから好い具合に気持ちは前に向いているのだろう。
なんどもパソコンを開いても閉じてしまい日記を書く余裕がなかったのだけど、今日届いた一通の手紙が心を刺激し背中を押した。読みながらビリビリ体に電気が走る。さあ、わたしも書こう。風邪をひいている間にいろんなことがあった。いろんなことを考えた。そして、これからのことも考えてしまう。また、ここで自分自身に向き合っていこう。
2021.11.28.sun 晴れ
「今日はオカアサンを休みます」、朝に宣言。よく考えると変な宣言なのだけど、昨夜も咳き込み、もうこれではもたないと思いつつも、六時に起きて朝ごはんを準備する。日曜日なのだから、ほはるさんを家人にお願いするつもりで「休みます」宣言。普段、自分のことをオカアサンなんて言ったりしないので、取ってつけた言い方だなと思いつつ、家人たちもわかってくれて朝ごはんの後に遊びに出かけた。とにかく黙って、日光を浴びて『プー横丁にたった家』を読む。おもしろかったから、ほはるさんと一緒に読んで共有したいとおもったが、まずはゆっくり休み復活せねば。この数時間で、この一日で、なんとかなることを願う。切に切に。
2021.11.27.sat 曇り/少し雨
薬を飲んでいても咳がとまらない。結局、昨夜も咳き込んで眠れなかった気がする。これも風邪と戦う力が低下しているからなのだろうか。そんなことを考えたりもするけど、眠れていなくても結構元気。いつものように早く起きるし、行動もできる。しかし、つらいのは声を出すこと。マスクにバッテンマークを書いて黙っていたらいいのかもしれないが、娘とのキャッチボールをどうしてもしてしまう。だけじゃなく、あれして、これしても言ってしまう。我が家には三人いるはずで、わたしが黙っていてもいいはずなのに。なぜか、なぜだか、しゃべることになる。
なんであれ、はやくすっきりしたい。すやすや、ぐっすり眠りたい。
2021.11.24.wed 晴れ
昨夜は久々に咳き込んで眠れなかった。でも、夢を見ていたようだから、少しは寝ていたのかなと思いながら起きて台所にむかう。ということで、きょうはひとりで朝から病院へ。喉の荒れ山から夜中の咳山への縦走と言った感じだろうか。峠をこえて、そろそろ麓も近いとのこと。しかし、夕方からの山は、きつく険しく。先日まで咳き込んでいた娘のしんどさを思いながらうなだれていると、「だいじょうぶ?」と声をかけてくれる。あれ、こんな風に気遣ってくれたことってあったっけと思ったのだけど、彼女も本当に咳がしんどかったんだろうということをあらためて思う。自分が経験して、人の痛みやつらさを考えることができる。今回の風邪もつらかったけど、娘の成長を感じて嬉しい機会となった。
2021.11.23.tue 晴れ
先日、やっと幼稚園にほはるさんが登園したのだけど、夜にわたしが咳き込んでしまう。帰ってきてからふたりでいると、どうしてもしゃべってしまうし喉を休めることもできない。ということで、今日はお父さんとふたりで出かけてねと言うと、いつもなら、そんなに気にせず行くはずが「おかあさんもいっしょがいい」と言って泣き出す。一緒に行っても黙っていればいいのだからと思うが、家人は口数がすくなく、わたしはよく喋るのだから、どうなってしまうのか想像もつく。結局、ふたりで出かけてくれた。何をするでもなく、おひさまを浴びながら、黙ってぼんやりすることにしよう。
2021.11.22.mon 雨
水曜日から体調を崩したわたしと娘。まだ全快とは言えないが、日中の咳がおさまってきたので久々に登園。随分前に感じていた気持ちの中の重たいものも、今日の雨と娘の元気そうな姿で浄化されたのか、こうしてパソコンにむかっている。我が友の日記をまとめて読んで、しずかに深呼吸。
昨年、その前の年にくらべてカレンダーの注文がないことが自分のせいだと感じていた。できることをしていないからだ、じゃあ、どうすればいいのだろうと思うのに、なんでもやろうという行動ができずにいた。「わからん」と言われるだろうけど家人に注文がこないことを言ってみると、コロナによってオンラインで販売する店が一気に増えて、我が店は埋もれてしまったのだろうということ。ああ、なるほど。そうか、そうだったのかと納得。ということは、目の前でお伝えする場所を持たない私たちができることと言えば、どういうことなのだろう。と、また考える。
風邪でぼんやりしながらも、思いついたのは初心にかえること。「雲の生まれるところ」らしく、家人の絵でインスタグラムも伝えていこうと思っていたのに続けることができなくなっている。よし、もう一度やってみよう。「絵を描くのは、そのモノをよくみるために。絵で伝えるのは、どんなモノなのだろうとさらなる興味を持ってもらうために」。店主である家人のこだわりを大切にしていきたいと改めて思う今日この頃。とにかく、もう一度やってみよう。
2021.11.21.sun 晴れ
ほはるさんが風邪をひき、もれなくわたしも喉大荒れ。その後、すっきりとしない日々が続いている。「うつされた」と「うつってしまった」と思うより、自分の力の弱さを目の当たり。とにかく弱っている場合ではない、前を向かねば。体調以外に気になることもあるのだから、気持ちをしっかり強く持ち、元気になりたいと思う今日この頃。
2021.11.17.wed 晴れ
ひとつ気持ちがつまずいて、ひとつ何かに集中しているうちに、二週間も日記を書いていないことに気づく。
2021.11.3.wed 祝日 晴れ
家人たちは山に行き、わたしはひとりで家にいた。
2021.11.2.tue 晴れ
日曜日ぐらいから金木犀がさきはじめ、家の窓をあけるだけで秋の香りが鼻先に届く。しかし、外に出る時にはマスクをしているために、その香りがわからない。大事なものを見過ごしているのかもしれないことを思うこの頃。
2021.11.1.mon 晴れ
緊急事態宣言で流れ流れた幼稚園の保育参加の日。保育参加日は幼稚園での様子を見ることができる日で、いつもながらちゃんとしているのだろうかとドキドキする。今回は言葉遊びをしていて、ひとつの言葉の文字をランダムに並べかえたものを見て、どういう言葉か当てるというゲームをしていた。ホハルは本を読むからか、どの言葉にも反応し「はい」と大きな声を出して手をあげていた。そんな積極的な様子を見ると、わたしの子供のころは蚊の鳴くような声で、痛いところも言えないような子供だったことを思い出す。隣にいる家人が目の前の我が娘のようにハツラツ元気に声をだしていたように思えないので、これまでの成長で自身が培ったものなのだと感じた。最後に子供たちが書いた「なにが、なにして、どうなる」という言葉をそれぞれにシャッフルして選んで並べる遊びの後に、「ホハルちゃんはなんて書いたのかな」と先生が娘にふった、ホハルは大きな声で「いしだみつなりが、せきがはらで、たたかった」と答えるとお父さんお母さんはどっと笑った。保育参加日の下げとして、先生もホハルもみんなにうけて大満足の締めくくりとなった。
2021.10.31.sun 晴れ
ハロウィンとは何?今日は一日、そんなことを考えていた。自分の子供の頃は、ハロウィンなんて知らなかった。今でも、なんで仮装するのかもわからないし、子供にお菓子をあげるのかもわからない。それでも、幼稚園でハロウィンについては教えてもらわなくても、おばけとかお菓子とか、たのしいことは覚えてくる。だから朝から「いたずらするぞ」と言われても、なかなかピンとこない。まあ、たのしみにしているのだから、一応お菓子を用意しておいた。
朝におばけの絵を描いて、ハロウィンのダンスを踊って、お菓子をたべる。こんなんでいいのかなと思って外に散歩に出ると、魔女とかミニーマウスとか漫画のキャラクターに変装した子供や大人が集まっていて、お友達の家々をまわっていた。その中に、たまたま知っている子がいて、その子の家のそばをとおるとお父さんが大きなたらいに水を入れて、スーパーボールすくいの準備をしていた。ホハルは参加者ではない部外者なのだけど、みんなが来るまでにしていいよと言ってもらい、しっかりボールやゴムの金魚をもらう。その後に、子供たちが来てわいわいとたらいに群がり、お菓子をもらって次の家へ向かっていった。なんとなく、そばにいたホハルも残ってるからとお菓子をもらい、「みんなに内緒やで」っと言ってゴムの金魚をもうひとつもらった。その上、よかったらと畑のさつまいもまでもらってしまい、なんとたのしいハロウィンなのだろうとわたしまで思う。でも、そこで考えるのは、ご近所の子供たちを集めて、大人がたのしいことを考えてしてあげているということ。ああ、これが日本の「ハロウィン」なのだと。子供たちのうれしそうな顔を見ていて、そう感じた。
ホハルは寝る前に「らいねんも、きんぎょすくい(スーパーボールすくいのこと)をするかな」という。わからんと答えながら、日本のハロウィンはハロウィン祭りってことなのかなとも思う。来年はもうちょっと柔軟に子供の喜ぶことを考えてあげよう、そんなことを思いながら、朝に描いたおばけの絵を糊で貼って2021年の記念の本をつくった。
2021.10.30.sat 晴れ
久しぶりに心のご近所さんに会う。本当にそんなに経つのだろうかと出会う方々、みんなに思う。自分がまた歩みだそうとしていたり、いろんなタイミングが合った今だから、心のご近所さんのもとで雲の生まれるところの出張店舗をさせていただくことをお願いする。そう、前にも話していたのに、行うことができなかったから。行うのは11月6日のこと。もうすぐだけど、いろんな意味で動き出すためのリハビリだと思って向き合っていきたい。
2021.10.29.fri 晴れ
ヒナちゃんへの手紙をスカートのポケットに入れて幼稚園に行ったホハル。バスで戻って来てから、手紙を渡せたのか聞くと、
「じどうてきに、ヒナちゃんがきた」と言う。
自動的って。仲直りできたの?と聞くと、
「なかいいもん」とのこと。
仲が大丈夫なのはわかっていたけど、心配していたのにと思ってしまう。ヒナちゃんのお母さんからの連絡で、ヒナちゃんもホハルのことが気になっていたみたいで、手紙をもらってからクラスの先生に見せに行っていたらしい。さらに、好い関係になるね。大好きな友達。なんだかうらやましい。ま、とにかく、めでたしめでたし。
2021.10.28.thu 晴れ
預かり保育に行っているホハルを幼稚園に迎えにいくと、いつもは帰りたくないから逃げていくのに、わたしの方によってくる。一緒に遊んでいるはずのヒナちゃんがいないから「ヒナちゃんは?」と聞くと泣き出してしまった。なにかあったらしい。ヒナちゃんにも聞くけど、ぼんやりした感じだったので、なんだろうと思いながら、帰りたそうなホハルを自転車に乗せて帰ることに。何があったのか聞くけど、何も言わず、グスグス。だから、黙って自転車を走らせる。そのうち、なんとなく「いろはにこんぺいとう、こんぺいとうはあまい」というと、小声で乗ってきたので、言葉遊びをしながら田んぼ道を走った。
家につくと、わたしにぎゅっと抱きつきながら、どうしたのか教えてくれた。砂遊びをしていたら、砂がヒナちゃんにかかってしまって、「あっちに行って」と言われたとのこと。あやまったけど、「あっちに行って」と。ケンカというものかわからないけど、とにかく大事な友達なんだなということが涙でわかった。仲直りしたいなら自分でなんとかしておいでと、明日に手紙を渡すために折り紙に言葉をつづる。「だいすきだよ」と書いてから、赤いペンでいっぱいハートを書いていた。きっと伝わる、きっと伝わるから。隣のクラスだから渡しにいけるかなと心配していたけど、大丈夫だから頑張ってと背中を押す。
2021.10.27.wed 晴れ
「もう一度、歩き出そう」と心に決めて、雲の生まれるところのカレンダーをSNSでお伝えしはじめると、やはり見てくださる人数や回数が多くなる。どんな形であれ、自分が動いて、伝えていかなければならないことを実感する。そうしていると、10年以上前に永井さんのワークショップをうけたことのある方で、今は星ヶ丘の洋裁学校に通いはじめた方から、永井さんの「愉快のしるし」とわたしの「九月の朝顔」を注文をいただく。そして、もう何年も前に個展や朗読をさせてもらったお店の方がインスタグラムでわたしを見つけてくださったり。窓をひらけば風が流れるし、扉の外に歩みだせば出会いがある。そんなことを思う。でもまた、やりすぎて自分を追い込んでしまわないように、ほどほどにしていかなければならない。そう言いながら、雲の生まれるところと副店長とハタオカズミと、もうすでにやりすぎ。ハタオの場所では日々の記録、雲の場所では店のお伝え、そして、副店長の場所は必要なのかなと考えていたら、いいことを思いつく。でもでも、また止まってしまわないように、少しずつ、少しずつ、ぼちぼちゆっくりはじめてみよう。
2021.10.26.tue 曇り/晴れ
本日、47歳になった。誕生日は「おめでとう」より「ありがとう」の日だと思っていて、自分から言わずい黙っているつもりだった。しかし昨日、家人が、誕生日だから何か食べに行こうかと言ってくれて、そばにいる人がラーメンだの寿司だのと盛り上がる。「あの、」わたしの誕生日なんですがと思うのだけど、我が娘さんのエンジンはとまらない。ということで、彼女が食べたいものを食べにいくことに。まぁ、それがいいのだろうとわたしも家人も思っているのだけど。
2021.10.25.mon 雨
雨。一日中、しっかり降り続いた。ここのところ冷えてきたからか、朝、手が強ばっていてにぎることができない。ここしばらく、強ばりはなかったから、もう大丈夫と思っていたが、そうではないことを知る。
そう言えば、先日会った人が「リウマチは病気じゃない」とわたしに言った。その日は、わたしもそう思うとうなずいた。「その日は」というのは、少し前、重いだろうと母がわたしの荷物を持ってくれようとした時に、思わず「わたしを病人にしないで」という言葉が口からでた。考えずに、感情のまま。その後、落ち着いて考えていたのは、病人に思って欲しくない時と、病人だと思ってほしい時があるということ。「病」というのは人の心にある「何か」なのだろう。わたしは、その「何か」を心に持ってしまったのだろう。
2021.10.24.sun 晴れ
家人は昨日から不在で、ふたりで過ごす週末。今日は、ばあちゃんのさつまいも掘りにいくことに。家の裏の畑の野菜は、ほぼわたしたちのために育ててくれている。さつまいもを掘りにいくのも今日がちょうどいいタイミングだと思い、自転車に乗って、たまに田んぼをはしったりして、我が実家へ。九つの種から、つるるるるると芋の子がついてきた。ひとつだけ、ひょうたんみたいに大きなのもあり、大笑い。そして、思う。ああ、こうしてみんなで笑えることって幸せだなと。毎日、いろいろあるけれど、それでもなんでも元気で笑って会えることに感謝を思った。
2021.10.23.sat 晴れ
急に思い立ってというより、しずかに生まれる雲のように、星ヶ丘に行こうと思った。少し前から何度か「おかあさんと、ほしがおかにいきたい」と言われていた。いつも乗っている電車なら不安もなく利用するのに、緊急事態宣言中はバスに乗ることに躊躇してしまってなかなか行く気になれなかった。家のそばの淀川の向こうに見えているのに、近くて遠い枚方。でも、今日は「行くぞ」と意気込んで、おにぎり持ってバスに乗る。
バスから電車に乗り換えて、もうすぐ星ヶ丘というところで、「かずみさん」と声をかけられる。星ヶ丘でお会いしていた方で、いろいろ話しをしていると「今、ギャラリーで古本を置いていて、私の絵本をよかったら持って帰ってください」とのこと。「本」と言われると、喜んでついていってしまう母と子。そんなつもりじゃなかったのに、山盛りの本を遠慮なくもらってしまう。
久々の星ヶ丘では、会いたかった方々に会うことができた。ほはるさんは、本屋に行って、星ヶ丘に行って、さらに本をたくさんもらって、気持ちほくほくで家路につく。そして、寝る前にぼそり「あしたもギャラリーにほんあるかなあ」。「えっ」と聞き返すと、まだまだ読みたい本があったという。ほはるさんは、ほんまにほんはるさんだなとつくづく思う。まあとにかく、楽しく過ごすことができてよかった。
2021.10.22.fri 晴れ
今日は幼稚園に迎えに行く日。ほはるさんはお友達のひなちゃんに手紙を渡すと言って折り紙に大胆な字で書いている。「でも、つばさちゃんも一緒にいるから、つばさちゃんにも書いたら」と言ったものの時間がなく、なぜかわたしが書くことになった。幼稚園に行くと、帰り支度をした ひなちゃんとつばさちゃんが「ほはちゃんが、てがみがあるって」とわたしに言う。「え、あ、つばさちゃんのはわたしからやけど」と小声でいいながら渡すと、また「へんじかくね」とふたりとも笑顔で言ってくれた。幼稚園に行くたびに自分も友達になった気分になってしまう。ほはるさんに手をふっているのに、わたしもみんなに手をふりかえす。本当はバスでの登降園なのだけど、迎えにいくのもいいものだ。面倒に感じる性格じゃなくてよかったとつくづく思う。
2021.10.21.thu 曇り
急に寒くなってきて、体の痛みがどうでるのだろうと考えてしまうが、初めての冬だから当然のこと。
そう言えばというのもおかしいが、もうすぐ自分の生まれた日、つまりはひとつ歳を重ねる。日にちを覚えているのかわからないが、ほはるさんが「おかあさん、たんじょうびに、なんのほんがほしい?」と聞いてくる。彼女の誕生日はいつも本だから、わたしにも本をと思ったのだろう。だから、つくった本がほしいというと「そんなんじゃない」とのこと。確かに、今年は自分のために本を買いたいと思っていた。ほしい本もあって、どうしようかなと迷っている。きおそらく彼女は、自分も読める本を選ぶだろうと思っている。それもいいのだけど、さあどうしようか。パソコンをひらいて古本で売っているか一応さがしてみる。
2021.10.20.wed 晴れ
ふとしたことがあるかないか。タイミングやきっかけなのかもしれない。「がんばれ、がんばれ」ではなく、ゆっくり見ていてあげることも大切。きっと自分で輝くものを見つけることを信じて黙って見ていることも大事なのだと、秋の好い日に考えていた。
2021.10.19.tue 曇り
そういえば、昨夜、娘のもうひとつの前歯を抜いた。「ぬけた」ではなく抜いた。ぐらぐらしているとは言え、前回よりもゆれていない。でも気になって仕方ないようで、このまま幼稚園に行ったらずっとさわってしまうだろうと思い、思いきって抜くことに。ぐらぐら、ぐりぐり、ぐーっとひっぱると、「いたっ」。うわあ、もうやめたいと思いながら、おもいきって、ぐっ。手元のタオルハンカチは血だらけになって、なんとか抜ける。娘は痛いというより、すっきりした表情で鏡に直行、わたしはぐったり「もういやや」。「つぎはお父さんにしてもらおう」というと、「おかあさんがいい」とのこと。ひやあ、この役目はもう勘弁してと思いつつ、これも節目、節目の娘との思い出になるのかなと思ったりする。
2021.10.18.mon 晴れ/曇り
一ヶ月ぶりの病院。この一ヶ月は先生の言葉を励みに、ステロイドを減らしたままで過ごした。と言っても、一日だけひとつ増やしたのだけど。血液検査の結果は炎症の数値も低めで好い具合とのこと。しかし天気の悪い日に痛くなるように、寒くなるとやはり痛くなるようで、今後のためにもさらに炎症の薬をひとつ増やす。そして思う。薬があれば笑顔でいられるけど、薬がなければどうなっているのだろうと。
2021.10.17.sun 朝に雨/曇り 急に寒くなる
やはり、と思うこと。そうなのだ、と思うこと。気持ちを込めると動くということを。雲の生まれるところのことをSNSでお伝えすると、頁を見てくださる方が増える。当たり前のように感じるが、それは特別なこと。しばらく止まって、動き出したから気づくことでもある。苦手だからと避けていては前に進むことはできない。とにかく思い切ってやっていかねば。と自分に言い聞かせる。
2021.10.16.sat 曇り/夜から雨
それからしばらくして、みんなそろって、クリストファー・ロビンに「さよなら」と「ありがとう」をいったあとで、コブタとプーは、夕方の金色にかがやく光のなかを、かんがえにふけりながら、いっしょに家のほうへむかって歩いていました。ふたりは、ながいこと、なんにもいいませんでした。
が、とうとう、コブタがいいました。
「プー、きみ、朝おきたときね、まず第一に、どんなこと、かんがえる?」
「けさのごはん、なににしよ?ってことだな」とプーがいいました。「コブタ、きみは、どんなこと?」
「ぼくはね、きょう、どんなすばらしいことがあるかな、ってことだよ。」
プーは、かんがえぶかげにうなずきました。
「つまり、おんなじことだね。」と、プーはいいました。
寝る前の本として、クマのプーさんえほん8『プーのたのしいパーティー』の最後の部分をくりかえし読む。娘に「ホハル、きみ、朝おきたときね、まず第一に、どんなこと、かんがえる?」と聞くと、「どようびとか、にちようびのことじゃないんだけど。じんくんにあえるかなって」と言ったので、「つまり、おんなじことだね」と続ける。わたしは、わたしも、おんなじことかな。と思いながら、プーとコブタが夕日にむかって歩く姿に自分の気持ちを重ねていた。
2021.10.15.fri 晴れ
「ツッコミ」は優しさや。昔から我が兄が言っていること。関西人としてボケをほっとくことは「優しくない」と。上手いツッコミによって、そのボケがおもしろくなるということを兄はよく言っていた。
幼稚園に娘をむかえに行くと、昨日預かり保育で遊んだお友達が「ほはちゃん、また、おとうさんしてな」と言っている。昨日、ごっこ遊びをしていて、とぼけたお父さんをしたらしい。落語が好きで、お調子もんにあこがれて、おもしろいこと大好きな娘にとってのはまり役だったのだろう。しかし、話しを聞いていると、おかあさん役の子に怒られてばかりだったという。ということは、おかあさんのツッコミもよかったのだとわたしは分析する。そして、こども役の子がそれを見ておもしろがるという最高のシチュエーション。かわいい新喜劇ごっこを想像しながら、にんまりわらってしまう。
2021.10.14.thu 晴れ
随分、とまってしまっていたオンラインストアをアップ。わたしがいろいろ準備して、家人が描いた絵とともにアップしてもらう。また歩き出せた。やっと。雲のインスタグラムをアップするのに、かなり時間がかかった。たくさんの人に流れるのだと思うと簡単にできない。わたしにとって、勇気がいること。こんなことだから、目も首もいろんなところがしんどくなるのだろう。みんな、さらっと見るのだろうし、気軽にしたらいいことなのかもしれない。でも、それがなかなかできない。そんなことを考えていると、永井さんに言われ「息切れしないように」という言葉を思い出す。
2021.10.13.wed 曇り
永久歯が後ろにはえてきながら、下の前歯がなかなか抜けずぐらぐらとゆれていた。気になるからずっとさわっていて、ついに右の方があとひと皮でくっついているかのようにぐらんぐらん。わたしとしては、もう抜いてしまいたいのだけど自分ではなく、人のことだから痛みを考えると躊躇してしまう。それでも、気になるようで鏡を見ているから、「よっしゃ、抜いたろ」と腹をくくる。ハンカチで小さな歯をくるんで、ぐらんぐらん、ぐるりぐるり、えい!。血がハンカチににじむ。痛みもあるけど「やった」といわんばかりの嬉しい顔になって、わたしに抱きついた。二人でひと山越えた気持ちになって、小さな小さな歯をふたりで見つめる。抜ける前には「ぬけるのがさみしい」と言っていた娘。生まれてから初めて生えた歯との別れなのだから当然だろう。
2021.10.12.tue 曇り
就学前の娘に対して、いろいろと思うことのあるこの頃。あれして、これしてと言って幼稚園に送り出し、一人になってから、じゃあ自分はできてるん?とやまびこのように言葉が跳ね返ってくる。いろいろとため息ばかり。
今日は幼稚園の英語あそびの見学の日。年少も年中も感染予防のために中止になり、年長になって初めて見学する。クラスのお父さんやお母さんと会うこともあまりなくなっているというより、マスクをつけていては踏み込んで話しをすることができず、挨拶だけの関係の人がほとんど。娘に友達と遊んだのかとか、みんなと仲良くなれるように声をかけたらとか言っておきながら、自分だってできていない。自分ができていないことを娘に求めるのはおかしい。まずはわたし自身が動かなければいけない。そんなことを思い考える参観だった。
2021.10.11.mon 曇り
今日はじんくんに、けっこんできないと言われたらしい。じんくんは、ゆずちゃんと結婚すると言っていたとのこと。おそらく、いつかなにかを言われると思っていたが、はやい。こうなると、次は誰の名前がでるのだろうと気になりだす。ショックを受けたりするのだろうかと思って娘にどう思ったのか聞くと「あきおくんがいるから」とのこと。あっちもあっちなら、こっちもこっちの六歳さん。そして思う、自分の年長の時とかに結婚とか考えたかなと思ってしまう。女の子なら「およめさんになりたい」なんていう子がいたかもしれない。でも、男の子が「けっこん、けっこん」と言っているのは何故なのだろう。お父さんとお母さんの仲がよくてたのしそうなのだろう。他にも理由があるのだろうか。いろんなことを想像してしまう。
2021.10.10.sun 曇り/雨
体調はよくないものの、好きなことのためなら元気な娘。そばにいるわたしは気が気じゃない。こうして子供は強くなるのだ、強くなるのだ、でも、もし何かあったらどうしよう。もうわたしの方が、心配でへろへろになるような時間を過ごす。
2021.10.9.sat 晴れ
夏休み前から元気だった娘が、昨日から鼻水と咳。心配性のわたしはどーんと大きな気持ちでいられない。脳裏にはいつものパターン、鼻水、痰、咳、そして悪ければ発熱。他の子のようにいきなり発熱ということがなく、じわじわとせめてくる。いつもそう。だから、ああもうそこまで来ていると、こちらも構えてしまう。ずるずる、こんこんしていても、たのしいことや美味しいものが目の前にあるならば娘は元気なのだから、その力を信じて支える母であるべきなのだと思うのだけど、やはり心配。じわりじわりとせめてくるものを、神頼みのように祈る一日をすごした。
2021.10.8.fri 晴れ
緊急事態宣言でのびてしまった九月の誕生日会の日。九月生まれの子どもたちのお母さんが給食を一緒に食べて過ごす。幼稚園の子供達と過ごすことが、ほぼなかった年中、年長。久々にみんなの中に行くのは緊張する。娘はと言えば、最近再び仲のいい、じんくんとからんでいる。とにかくからんでいる。そして、じんくんはわたしにもからんでくる。おもしろいことが大好きな娘には、やっぱり居心地のいいノリなのだろう。給食を食べてから片付けをしていると、じんくんがそばに来て「ほはるとけっこんすんねん」とわたしに宣言。思わず「いいの?」と聞いてから「よろしくお願いします」と言ってしまった。これから小学校も中学校も一緒の子。男の子はいつしか男の子同士で遊ぶようになるだろう。わたしの経験から思うこと。娘がいつか寂しい思いをしなきゃいいけどとも考えてしまうが、今、幼稚園の日々がたのしくなるなら彼の言葉に感謝をしたい。
2021.10.7.thu 晴れ
さぁ、腰を据えてオンラインストアの仕事をしようと意気込むのだけど、娘を送って、お昼ご飯の準備をして片付けて、晩ご飯の準備をしていると、もうすぐに娘を迎えにいく時間。相変わらずの段取りの悪さからだろう。仕事をすすめたいなら、もっと頭をつかって、うまく時間を使わなければいけない。
2021.10.6.wed 晴れ
夕方のラジオのニュースで、夜の七時前に日本の上空を国際宇宙ステーションが通過するとのこと。晩ご飯を食べてから、娘と外に出てみた。ふたりで空を見上げながら、空って広いなあと思う。そう、どの方角を見ればいいか調べるのを忘れていた。「もう、あれにしておこうか」なんて話していると、同じように空を見ていた方が「あれがそうよ」と全く別の方を指さして教えてくれた。
2021.10.5.tue 晴れ
六歳になった娘が、幼稚園から帰ってくるなり「じんくんがわたしとけっこんしたいって」という。じんくんとは、相棒になったり、相棒をやめたり、なんやかんやと絡んでいる友達。ちょっと前に「じんくんは、あいなちゃんとけっこんしたいんだって」と言っていた。だから「じんくんはあいなちゃんと結婚したいって言ってたよね。どうしたんやろう」と聞くと、あいなちゃんに家が遠いから結婚はできないとかなんとか言われたという。遠いって、同じ小学校の校区なのにと思ったが、まだ年長さんなのだから真面目に考えることもない。もしかしたら、娘の空想の話かもしれない。「でも、じんくんとあきおくん二人から結婚したいって言ったらどうするの?」と聞いてみると、「たたかってもらう」とのこと。勝った方を選ぶという。戦いの好きな年頃なのか、よくよく戦っている。とは言え、これまでのことを見ていても、数日したら、じんくんとの関係もまた変わるのだろう。それでもなんでも、なんだか嬉しそうな娘がかわいくてたまらない。「で、結婚ってどういうことだと思ってるの?」と聞くと「わからない」とのこと。そんな娘の答えを聞いて、「どういうことなんやろね」とわたしもぽろり、こぼしてしまう。
2021.10.4.mon 晴れ
雲の生まれるところでご紹介するカレンダーのことで、ある作家さんに連絡をする。ご紹介が止まってしまったことなどをメールで伝えると「どうぞ無理なく、そんな時は立ち止まってよいと思います。頑張らなくてよいと私は思います」とのこと。両手でやさしくすくってもらった気がした。この方の作品を、今のわたしが出せる力で伝えていきたいとはっきりと思った。
2021.10.3.sun 晴れ
大阪の本を扱う店に展示を見に行く。ここのところ出かけることはないし、いろんな方の活動についても情報を入れていないから、人に会うのもこそこそしてしまう。そんな時、展示を見にきていた方が「この本を書いた方ですよね」と、わたしに話しかけてくださった。誰かと間違えているのかなと思って、その方が本棚から手に取った本を見ると「九月の朝顔」、わたしの本だった。お話をすると、娘が生まれる前、6年ほど前にお話ししたとのこと。覚えていなくて、本当にもうしわけなく。そして、今は制作も活動もできていませんと伝えた。しかし、その方は「九月の朝顔」を購入するのでサインを書いて欲しいと言ってくださり、あーえー今は何もできていないからと小さくなっているわたしに本とボールペンを持ってきてくれた。目はぼやけるし、力の入った手は不安定。なんとか名前を書いた本を渡すと、その頁をひらいて「サインというより、持ち物に名前を書いたみたい」と、一番後ろの下の方に書いた名前を見て笑っていた。今だからではなく、あの時とほぼかわらない私のサイン。というより署名。「また、何かやってみます」と言って、挨拶をしてわかれた。声をかけてくださって、覚えていてくださって、本当に感謝の瞬間だった。何より、今のわたしの存在に気づいてくださったことに心より感謝。ありがとうございました。
2021.10.2.sat 晴れ
本日、幼稚園最後の運動会。年少の際には全学年の運動会で、娘は徒競走、ダンス、親子競技を行った。昨年の年中は、ふた学年ごとの分散の運動会で徒競走とダンス。そして、今年は学年ごとの小運動会のごとく、年少と年中はダンスだけで、年長はダンスとクラス対抗リレーの二種目。一時間ほどの運動会だけど、緊急事態宣言が解除されていなければ中止だったのだから、開催されてよかったとみんな思ったことだろう。子供達は今日の日のために、毎日リレーとダンスの練習をしていた。クラス対抗リレーは、ひとクラスの26、27人の子供達がバトンを渡して走る姿に感動と興奮。勝ち負け関係なく本当に素晴らしかった。娘はと言えば、最後かもしれない練習で四クラス中の4位になった時に「やったー4位」と言ったらしい。みんなから「なんでそんなことを言うの」と声が上がったという。本当になんでそんなことを言うのよと、先生にその話を聞いた時にわたしも思った。娘としては何も考えずに言ってしまったというが、ちょっと前から、以前みんなで歌った「世界にひとつだけの花」の「ナンバーワンにならなくてもいい、もっともっとすてきなオンリーワン」をリレーに重ねて、どう思ったらいいのだとわたしに質問してきた。1位の日もあれば、3位の日もあるから、それぞれにがんばっていたら、何位であれ素晴らしいことだと答えた。そこからの「やったー4位」だったのだろうか。それはともかく、我が娘もがんばって走った。子供達の成長にみんなみんな感動して、心がひとつになった時間に思えた。
2021.10.1.fri 曇り
今日も娘といろいろ話す。彼女との付き合い六年。親という立場も六年。まだまだ未熟なわたしなので、話した後にいろいろ考え込んでしまう。娘と向き合うことで、わたし自身が成長するための大切な時を過ごしているのだろう。
2021.9.30.thu 曇り/雨
明後日が娘の運動会。今年は学年別で、一種目か二種目のひと学年30分ぐらいで行う。年長はクラス対抗リレーとダンス。その二種目の練習で娘はやらかしているようで、今日の練習はどうだっただろうと帰ってくるまで気になって仕方ない。しかしながら、毎日いろんなことがあるって、おもしろいのかもなと思ったりする。いつの日か、もうこんなんやってんからあ、ほんまにい、と笑うのだろう。きっとそうなる。元気でいるなら、やらかしてもなんでも、たのしんだもん勝ちなのだろう。先生曰く、たのしそうにしていますよ、とのことなので。
2021.9.29.wed 曇り
昨日につづき、作家さんにカレンダーを注文する。もう後戻りはできない。活動される人々の力を感じて、わたしもやっていこうと心を決める。しかし、まだ流れの早いSNSの情報をのぞくことができずにいる。自分のペースで、見たい時に知りたい時に会いにいこう。それでもいいかな、それでもいいよね。活動を再開しようとしているのに、それでもいいのかな。
2021.9.28.tue 曇り
幼稚園に迎えにいくと、最近の娘のことを先生から聞くことに。聞きながら、汗がどっとあふれだす。いくつものエピソードをどう考えればいいのかと思いつつ、とにかく娘と話しをする。そして、娘の言い分を聞く。
2021.9.27.mon 晴れ
決意表明のごとく、でも弱々しく、2022年のカレンダーのことを家人に話す。そう、オンラインストアの話。昨年の今頃、さあやるぞと意気込んで、SNSでお伝えしていたのに、年始から体のそこら中がいたくなり、スマートフォンを見るのも控えた方がいいと考えて止まってしまった。止めてしまった。結局、今はその原因もわかっているので、ぼちぼちペースでもはじめられたはずが、できなかった。こうして書きながらも言い訳ばかりが思いつく。誰にも話せないから、ここの場所でぐちぐちと言ってしまうのもよくない。でも、ぱーっと出して、すっきりするのならと、ひとりもぞもぞ考えながらキーをたたく。とにかく、もう一度歩き出すのだ。そうしよう。そうしよう。と、パソコンに向かってぶつぶつと今日も独り言。
2021.9.26.sun 雨
ここのところ、ため息の日々。誰かに何かを話したいが、気づいたら気軽に話せる人もいない。そして、ため息。なんとなく、なんとなく、気持ちが止まっている時に「元気?」と連絡をくれる友人に「元気かな」とメッセージを送るが、彼女もまた気持ちが止まっていることを知り、わたし自身のことなど話せないことを感じて、またため息。「わたしも元気」と言って、気持ちを盛り上げたかったことに気づく。やっぱり、自分でどうするべきか答えを出さねば、迷っているのなら、もう一度、もう一度歩き出すことをイメージしよう。
2021.9.25.sat 晴れ/夜中に雨
娘とふたり。今日はしたいことがたくさんあるらしく、朝からいそがしい。誕生日にもらって組み立てたレゴで遊ぶ、てがみごっこ、のぼうちゃんとほはる どこかにいくごっこ、ぶしょうきょうだい はくぶつかんにいくごっこ、きょうりゅうがっこうごっこ、きょうりゅううさぎこちゃんのけっこんしきごっこ。その間に、外にでて誕生日にお父さんにもらったキックボードをする。したいことを全部書きだして、ひとつひとつやっていく。
2021.9.24.fri 晴れ
止まってしまった自分が、今どうしたらいいのか考えていた。昨年は前向きな気持ちだったはずなのに、自分の体調の変化でふくらんでいた気持ちがしゅるしゅると縮んでしまった。春から夏へ、夏から秋になり、今思う。歩き出せない理由を探して、続けたかったことをやめてしまっていいのだろうかと。
2021.9.23.thu 晴れ
秋分の日、祝日。私の実家のお墓参りに合流する。落ち葉をひろって、お墓を綺麗にして手をあわす。穏やかな一日。
2021.9.22.wed 曇り/雨
とにかくしたいことがたくさんありすぎる。というのは娘の話で、したいことが山積み山盛り。絵をかきたい、誕生日にもらったものを組みたてたい、おだんごをつくりたい。たくさんしたいことがあるはずなのだけど気づいたら本を読んでいて、したいことは後回し。ということで、さらに山は高くなっていく。
わたしはと言えば、しばらく薬を減らすのを頑張っていたけど、今日は天気がよくないからかイタミさんがあっちこっちに顔を出す。だからと言って、慌ててしまうのもどうかと思い、「どないしましたか」と様子を見ている。これからずっとこんな感じなのだろうから、慣れなあかんなと思うこの頃。
2021.9.21.tue 曇り
娘が描き続けている本『ぶしょうきょうだい』も、もう15冊ぐらい幼稚園に持っていっている。最初はポカンとしていたお友達が興味を持ちはじめ、最近は「また『ぶしょうきょうだい』?」という子もいるという。ということで、晩ご飯の時に家族会議。どうしたら、友達にもっと興味を持ってもらえるかを考える。友達や先生を登場させるなどの意見が出たものの、彼女は「そのまま続ける」とのこと。つまり自分が描きたいことを書きつづけると言い切った。それなら、わたしも協力すると自分たちの気持ちを確かめる機会となった。先生に武将を知ってもらうためにはじめた本だから、とにかく先生に読んでもらうことを考えよう。卒園までに何冊までできるかわからないが、やれるところまで一緒にしていきたい。
2021.9.20.mon 晴れ
祝日。幼稚園で敬老の日のためにつくってきた壁掛けをじいちゃんとばあちゃんに持っていく。昨日、誕生日に来てくれた時に娘のじいちゃんである我が父が「三年前にややこしかったから、こうして六歳のお祝いができてよかった」と言った。そう、父が元気になってくれたからこその今なのだ。今思えば、という話しができて本当によかった。この気持ちをこれからもずっと大切にすべきだと改めて感じる。
2021.9.19.sun 晴れ
六歳の誕生日は、朝からお祭りのようだった。彼女にとっての特別の日が終わってほしくないようで、寝る寸前までしたいことを考えていた。まるで「6歳」が、今日一日しかないかのように感じるほど。六歳はこれからやで、めいっぱい楽しんでねと思いつつ、「いってらっしゃい」と、のぼうちゃんがいる夜の世界に送り出す。
2021.9.18.sat 曇り
明日は娘の誕生日。毎年、娘が思い描くケーキをつくることにしていて、今年は「のぼうちゃんケーキ」ということで、その土台となるものをつくることに。こうしてお菓子をつくるようになったのも娘の誕生をきっかけにしてなので、まだまだ気軽に手軽にといかない。メレンゲをちゃちゃっとと思ったのだけど、うまくいかない。そのうち腕が悲鳴をあげて、やり直し。そう言えば、二歳の誕生日には三回やり直した。結局マフィンになってしまったのだけど、喜んでくれたのを思い出す。そうやって、わたしも娘のおかげで成長させてもらっている。というか成長していると思いたい。とにかく明日は一緒にケーキを完成させる。娘が思う形にできますようにと念じつつ。
2021.9.17.fri 雨
今日もなんやかんやと注意してしまう。なんやかんやと言わなければならないことより、なんやかんやと言ってしまう自分に、また、ため息をつく。
2021.9.16.thu 曇り
薬がそろそろなくなるので病院へ。先生に痛みがある日、ない日でステロイドの数を増やしたり減らしたりしていたことを伝えると、「いいですね」と笑顔で言ってくださった。今日の数値では炎症はゼロだったので、このままステロイドを減らして頑張りたい。いつかはステロイドを無くしたいのだけど、ひとつ減らすだけでも反動の痛みがあるので、今後のために別の薬を増やしてくれた。
2021.9.15.wed 晴れ
もうすぐ娘の誕生日。いろいろ気になり、ぶつかるのもお互い成長の途中だからと思うのだけど、ひとりになってため息をついてしまうこの頃。
2021.9.14.tue 雨
二学期がはじまる前の、落ち着かない心配は子どもたちの元気な笑顔で中和されてきた。いつもながら、立ち止まってからの一歩目というのは、いろんなことを考えてしまう。歩き出してリズムができてくれば、なんかあったって乗りこえられると不思議な力が湧いてくるというのに。でも、考えてしまうからこそ一歩目が大切なのかもしれない。つまずきだって大事だと思うし、そこから歩き出す力の強さは今後の自分に必要なものだと思いたい。
2021.9.13.mon 晴れ
幼稚園のバスがもうすぐ公園につく。いそいで晩ご飯の準備をせねばと野菜を切る。なんとなく体がぽかぽかするので体温を測ると37.4。ちょっとあがってきているのかな。発熱も昨日のワクチン接種の副作用だろうし心配はない。バスがついて娘が遊びはじめた。「熱があがるかもしれないし、帰りたいな」と言っても、まったく気にせず友達と遊ぶ娘。こうなったらとお友達に「かえりたい」ことを相談すると、ちゃんと話しを聞いて出口の方にむかってくれた。娘も一緒に歩き出す。ちょっとは心配してよ、と思ってしまう自分が子どもだなと思ってしまう。娘にしてみれば、母は元気なものだと思い込んでいるのかもしれない。帰って体温を測ると36.6。見た目に元気は正解で、しんどいふりはわかってしまうのだろう。
2021.9.12.sun 雨/曇り
自転車で田んぼのそばの道をはしる。娘を出産してから田植えから稲刈りまで田んぼの移り変わりの様子を眺めることが、さらに好きになった。娘の名前は、稲穂の「穂」に太陽の「陽」で「穂陽」。生まれて最初の贈り物だと思い、家人と二人で悩んだことを思い出す。わたしの名前の「和」と家人の「恵」を合わせて「穂」という字を使うことにした。それからさらに悩み、彼のお母さんのひと文字、太陽の「陽」をもらい「穂陽」が生まれた。「ほはる」「hoharu」「ホハル」、穂陽。口にするたび、実りの季節、太陽の光を浴びてかがやく田んぼの様子が頭に浮かんだ。そして、九月。まさに彼女の生まれる頃の景色こそが穂陽で、穂陽日和を指折り数えて彼女が生まれた。
9/19、もうすぐ彼女の誕生日。風に揺れる稲穂の様子を見て、生まれた時のことや名前への思いがめぐりめぐる。
2021.9.11.sat 雨/晴れ
「なんで、そんなことをしたんやろう」というより、「なんで、そうしたくなったんやろう」ということを考える。「してはいけない」と言われたことをしたくなる気持ちに理由はあるのだろうか。おそらく行動にうつすまでには一瞬のことだろうし、気持ちや考えがあるとは思えない。でも、ちょっとしたなにかがあったんじゃないかと思う。どうなんだろう。
大泣きしている娘の声を聞きながら、またまた何をしたんやろ、あれやこれやと想像する。
2021.9.10.fri 晴れ
「今日は腕がいたかったあ」と寝る前の娘に笑って言うと、「あのね。さいしょに てがいたくなって びょういんにいったとき、なみだがでたんだよ」ぼそりと口にする。痛みの理由がわかってしばらく経った今だから、言えることなのだろう。
2021.9.9.thu 晴れ
寝る前に死ぬことを意識して「かんがえちゃう」と言わなくなった。わたしがなんとかしてあげたわけではなく、自分自身でそのことを乗り越えた。というのは、夢ではなく、彼女いわく実際に自分の中にいる友達、のぼうちゃんに会っているらしい。寝る部屋の壁の中に入って、どこかにいくとのこと。昨日は動物園、その前は水族館、その前の前は図書館。だから最近は「おやすみなさい」の後に「いってらっしゃい」という。彼女はうれしそうに「いってきます」と言って目をとじる。朝にその時の絵を描いてくれるので、その報告を聞くのが最近のたのしみ。「かんがえちゃう」ことも大切だけど、そこから笑顔にあゆみだせたことが、わたしも嬉しい。
2021.9.8.wed 雨
夜、ノートをひらく。四月からの体の痛みや薬のことを書いたノート。昨日、今日と、ステロイドをひとつ減らしたからか、なんだか体が痛い気がする。やっぱり減らすのは早いのかなと夜になって考える。そんな時、四月から書いているノートの五月の頁をみたら「なんてことない、これぐらいなら乗り越えられる」と思う。思うのだと言い聞かす。
ひょっとこ、ひょこ、ひょこ、ひょこひょこ、ひょー
ひょっとこ、ひょこ、ひょこ、ひょこひょこ、ひょー
みーん、みーん、セミです、セミです
のぼうちゃんはどこにいる
あ、いたいた、あ、すっころげちゃったー
「わらったら、いたいのなおるんちゃう」
娘がつくった歌とともに、一番痛かった五月に娘が言ってくれた言葉を口ずさむ。よし、明日もがんばってみよう。
2021.9.7.tue 曇り
再度チャレンジしてみよう。だめだったら、また戻らいいんだから。そう考えて、思い切ることにする。というのは、薬のこと。前に病院に行った際に、炎症の数値が下がっているから、ステロイドの数を減らしてもいいし、そのままでもう少し様子をみてもいいと言われた。ステロイドは、いずれは体のために飲まない方向だし、減らしてみますと自分で言った。自分で決めた。しかし、二日か三日そうしたものの、天候不順のせいか、足首は痛くなるし、左手は腫れるし、左肩は痛くなるし。結局、さらに増やして痛みを抑えた。少しましになってから、減らす前の個数に戻って数日。天気もいいし痛みもましなので、再度チャレンジすることに。減らした数日は痛くなるだろうと言っていた。それをわかって覚悟して減らすんだから、誰かに弱音を言うことでもない。そして痛くてたまらなくなったら、戻せばいいんだから、よし。ステロイドも痛み止めも、いずれは飲まない方向でリウマチの薬だけにしていくのが目標。焦らなくてもいいんだと思いつつ、免疫力が低下していくのも心配。とにかく自分が耐えられることなら、前向きに挑戦して行こう。そうしよう。と、自分に言い聞かせる今日このごろ。
2021.9.6.mon 晴れ
1.絵(話)を描く。←ほはる
2.紙芝居のように絵を見せながら話してもらう。←ほはる
3.その動画を見て聴きながら話を文字にする。←わたし
4.紙を貼り合わせて本にする。←わたし
5.文字を付箋に書いて本に貼る。←わたし
6.流れがあっているか一緒に見てもらい言葉の付箋をのりで貼って完成。
娘、ほはるが『ぶしょうきょうだい』という本を作りはじめたのは、自分が好きな戦国武将のことを幼稚園の担任の先生に知ってもらうため。内容は自分が好きな武将たちをおもしろおかしく描いたコミカルな内容。武将や戦いのことを書いているわけではないので、本人は漫画だと言っている。前からつるつるの紙のちゃんとした本を作りたいと言っているが、出版社をしている家人に相談するとしっかりした内容でないと本にはできないと言われた。ということで、わたしが本の形にしてあげようと、描いた紙をのりで貼り合わせて頁をめくれるようにした。はじめは、そんな本を持っていったら先生がこまるんじゃないかと思っていたけど、担任の先生はそれをクラスのみんなの前で読んでくれて「武将」をまったく知らなかった子たちが、娘の『ぶしょうきょうだい』をきっかけに武将や歴史にはじめて出会うこととなった。娘にとっては、みんながぽかんとしながらも、笑ってくれたのが嬉しくて「100冊つくる」と意気込んで、せっせと描き続けている。ということで、わたしも夜な夜な作業で完成させて幼稚園に持っていく日々。そのうち、他の子も手作り本を家でおかあさんとつくってきたり、幼稚園のクラスでひとりひとりが自分だけの本を作ったりと、娘がきっかけで波紋がひろがりはじめた。そして今、『ぶしょうきょうだい』も13冊完成して、わたしの作業待ちが6冊。夏休みの宿題のつもりだったが、なかなか進まず九月に入って動画をみながらぼちぼち進めている。
一緒に本をつくっていると、娘自身が考えていること、経験したことを直球であらわしていることに気づく。したいこと、たのしかったこと、はずかしくて普段は出せないこと、実際にはできないこと。なんでも『ぶしょうきょうだい』の登場人物に表現させる。そしてそのうち、「ほはる」という男の子まで登場させてしまった。わたしは何かをしようと思っても、する前に立ち止まってしまう。人がどう思うだろうとかいろんな余計なことを考えてしまうから。わたしも気持ちをやわらかくして、したいことをわっあっとしていきたい。したいことってなんだろうと悩むより、なんでもかんでもやってみること。その中からキラッとひかるものを見つけることができたらいいのだから。
娘ほはるに、永井さんを感じることがある。100個つくったら形になるなんて教えたことはないのに、さらっと口にしてしまう。日々の中から生み出す姿にも、ああと思わずにいられない。「あんじょうきばりいや」か。がんばりながらでも、ふんふんと鼻歌まじりにおもしろいことができる人になりたい。そんなことを考えるのは、まだまだこれからなんでもできるということ。とにかく、まずは『ぶしょうきょうだい』を完成させよう。これもわたしの、ずっとしていきたいことだから。
2021.9.5.sun 晴れ
日曜日、おとうさんと遊ぶ日。めいっぱい公園で遊んで夕方に帰ってきた。にっこりわらってわたしの方に手を差し出すので、わたしも手を出すと、きれいなパールのような球がついた飾りをお土産といってわたしてくれた。「きれいでしょ。おかあさんにあげようとおもって」。ひろったものなんだけど、みつけた時の娘の顔を想像し、わたしに見せようと思ってくれたことがうれしくて喜んでうけとった。そういえば、わたしもよく何かをみつける子供だったらしい。だから「いいもの」に出会った時の気持ちはよくわかる。でも、もし、一緒に歩いていてひろおうとしたら、誰かのだから置いておいた方がいいと言っただろう。わたしが一緒だったら、きらきらの気持ちをかがやく前に摘んでしまった。いいものをみつけた、おかあさんに見せたい。心がふわっとゆたかになった瞬間が娘にあってよかった。きょうはおとうさんと二人で出かけてよかったと、パールがつらなった飾りを見ながらあらためて思った。
2021.9.4.sat 雨
そして土曜日。娘にとって土日は、おとうさんとあそぶ日と決まっている。どうしてそうなのか聞いてみると「いつも(平日)は、おかあさんとあそんでるでしょ。だから、どにちはおとうさんとあそぶの」とのこと。ということで、おとうさんのためのフルコースを手紙にかいてわたす。雨なので外には出にくいが、できることをめいっぱいたのしんで欲しい。
2021.9.3.fri 雨
チャーハン、ラーメン、あさりのパスタ。たこやき、からあげ、もも、ドーナツ。コロッケ、トマト、オクラに、カレー。ここのところ思い悩む娘が元気になるように、好きな料理やたべものを準備してあげたいと考える。考えて、考えて、考えていたら、わたしも悩みのうずに入ってしまう。
2021.9.2.thu 雨
今日も娘は「かんがえちゃう」と、つらそうな顔を見せる。もうすぐ六歳なんだけど、大きくなるにつれ「死」が近くなるのだと思い、大きくなりたくないともいう。下の前歯の永久歯もはえてきて、乳歯がぐらぐらしている。それをさわるたびに、なにかを思っているのかもしれない。つらい気持ちはわたしにしか言えないようで、おとうさんに話して何かを言われるのが恥ずかしいらしい。数日前にジェットコースターのようにぐんぐんテンションをあげていったのは、無理してがんばっていたようだ。でも、わたしとふたりの時は、それはなく、ただただつらそうにくっついてくる。もうなんと言ってもかわらなさそうなので、「わたしも考えるし同じやで」と言ってから、いろいろ気が紛れることを言ったりしたりしてふたりで大笑い。とにかくあがったり、さがったりのジェットコースターか観覧車はしばらく続くのだろう。
2021.9.1.wed 晴れ
幼稚園からバスで戻ってきた娘。こどもたちが笑ってたのしそうにしていることに ほっとする。幼稚園では二学期ということで新しいグループになったという。「グループのなまえ、なんだとおもう?」この前は、りんごグループだったからなんだろうと思っていると、「のぼうグループ!」と、あふれんばかりの笑顔でいう。「え!、ほんとに!、みんないいって言ったん!」とわたしも興奮。「のぼう」とは、映画の『のぼうの城』の野村萬斎さんが演じる成田長親の呼び名、その役柄が気に入って自分で描いた漫画『ぶしょうきょうだい』にも たびたび登場する。その作った本を幼稚園で先生が読んでくれるので、クラスのみんなも「のぼうちゃん」のことは知っているが、そんなに浸透しているとはと驚いてしまう。自分の中にいつもいて大好きなキャラクターがグループの名前になるなんて、娘にとっては最高にうれしいことに違いない。そして、わたしもうれしい。「のぼうグループ」のみんな、ありがとう。
2021.8.31.tue 晴れ
明日から幼稚園がはじまる。立ち止まった後に踏み出す一歩はいつも勇気がいる。大丈夫だろうかと不安になるのは、心配性なのも手伝っているのだろう。そんな人がそばにいると、実際に外へ飛び出そうとしている気持ちをとめてしまうかもしれない。いっぱい遊んでおいで。なんかあったら、わたしがいるから大丈夫と笑顔で送り出してあげたい。いつだってなにかしら心配はあるのだから、今という時をも乗りこえて強くなりたい。
2021.8.30.mon 晴れ
そういえば、昨日「死」について考えてしまうなどと一度も言わなかった。お父さんのひと言で何かがかわったのだろうかと思っていたら、今日の午後また泣きそうな顔になってわたしの足にくっついてくる。そして「かんがえちゃう」と。さっきまで、ひげのおっさんの絵を描いてたのしそうに遊んでいたのに、いつのまにやら急降下。そのままお父さんとお風呂に入る時間になったので、また考えていることを家人に伝える。
そして五分ぐらい経って出て来たら、上昇、上昇、またテンションあがりまくりのあがりすぎ。なんで、なんでと言わんばかり。まるでジェットコースターのような娘さん。切り替えのポイントは、わたしとおとうさん。考えてしまうのは、自分が死んでしまうこと、おとうさん、わたしが死んでしまうこと。とにかく、しばらく黙ってそばにいよう。そして元気でいなければ。
2021.8.29.sun 曇り
今日はおとうさんと遊ぶと決めていた娘は、朝からたのしみで仕方ない。まだまだ暑い中、自転車にのってどこかへ出かける。わたしはというと、昨日から右足首にイタミさんが顔を出し、びっこをひきなからでないと歩けない。優秀なリウマチだと言っていただいたのに、いろんな状況でくるくる変化することを実感する。思えばまだまだ四月からの浅いつきあい。こんなもんかなと決めつけてはイタミさんに失礼というもの。
2021.8.28.sat 曇り
朝からたのしく遊んでいた娘だが、夕方わたしとふたりになると「また、かんがえちゃう」と、かなしそうな顔をする。いつからそうなのか聞くと、じいちゃん、ばあちゃんの家でお盆を過ごして、ご先祖さまをお迎えしお送りして、お盆を一緒に経験してから「死」が頭から離れないとのこと。何を言っても表情がかわらないので、お父さんに話してみようということになった。晩ご飯の時にわたしから家人に話すと「いいことだと思う」と、ひと言。その言葉を聞いたからかどうなのか、今までと一転、無理に元気にふるまっているんじゃないかというぐらいにテンションがあがり、ずっとわらって話しつづけていた。わたしも一緒にわらって話を聞く。家人はかわらず、ご飯をたべていた。
2021.8.27.fri 晴れ
朝から元気のない娘。足にぎゅっとくっついて「きのうのことをかんがえちゃう」とかなしそうな顔でわたしをみあげる。草履を流してしまったことをきっかけに、死や別れ、忘れてしまうことへの不安で頭も気持ちもいっぱいになってしまった。はずかしい、かなしいなどの感情がはっきりしてきたこの頃。考えたくないことが頭から離れないのは本当につらいと思う。
明日はどんな天気になるだろう。娘の心の雲のながれをしずかにみつめていたい。
「あした、てんきになあれ」
とばした草履は川のなかへ
「あした、てんきになあれ」
いった言葉がおわらないうちに
彼女の目には おおつぶの涙
手がとどかないところに流れゆく
赤い鼻緒の ちいさな草履
横隔膜をひくひくさせて
大きな声でなきじゃくる
そんなに気に入ってくれていたんだ
なくしてしまって気づくこと
抱きしめて家に戻るが もうどうにもならない
お父さんが
同じものを探してくれるといったけど
ながれる涙はとまらない
彼女の悲しみは
草履をなくしてしまっただけではない
流れてしまったことを
ずっと覚えているだろうかという不安
忘れてしまうことへ恐怖
いつか死ぬ
いつか別れる
そのことを考えるたびに怖くなるという
寝ようとして目をとじると
死のことを考えてしまう
草履をなくしてしまったことで
考えたくないことが
波のように押しよせてきたのだろう
「あした、てんきになあれ」
わたしは彼女をだきしめて
「あした、てんきになあれ」
泣きつづける彼女への言葉を探す
流れゆく時のその先も
大事な記憶としてとどめていたい
赤い鼻緒の 彼女の草履
今日という日の 彼女の涙
2021.8.26.thu
2021.8.25.wed 晴れ
幼稚園の夏期保育がはじまった。ということで、もうすぐ二学期がはじまる。昨年につづき、休み明けの第一歩にむけて不安と緊張がおおいかぶさってくる。でも、先生の元気な声を聞き、こどもたちの元気でたのしそうな様子を見ていると、笑顔でおくりだしてあげたいという気持ちになる。
2021.8.24.tue 曇り/雨
晩ご飯の際に、娘がしずかに涙ぐんでいる。なに?なに?どうしたの?なんかあった?なにかした?と思って聞くのだけど「なにもない」と言って教えてくれない。ご飯がすんで、寝る前にもう一度どうしたのか聞くと、言いにくそうにこたえる。「しんけんでいたいのに、のぼうちゃん(自分が生み出したキャラクター)のこととかを、ついついかんがえてしまうの」。考えもしなかったこたえで、なんと言ってあげればいいかと考える。頭の中でたのしいことが渦巻いていて、波のようにおしよせてくるのかもしれない。なんとなく、赤毛のアンを思った。好きなことを考えずに目の前のことをしないといけない時もあるだろうけど、考えたり、描いたりできる時には思いっきり好きなことをしたらいいよと話しをする。
2021.8.23.mon 雨/曇り
娘の好きな食べ物がはっきりしてきたこの頃。いつもの朝ご飯では納得がいかない顔をする。わたしとしては、ご飯にお味噌汁とあと一品あれば贅沢だと思うのだけど、こどもは違うらしい。夏休みで、わたしのご飯が続いているから、いつもの感じだと不満顔。
朝が終わればお昼ご飯。段取りがいい方ではないので、そこから考えるからよくないのだけど、今日はとくに昨日のワクチン接種のだるさが出て来て、手抜きをさせてもらう。しかし、それも納得いかないよう。どちらかというと、なんでも食べてくれる方だと思っていたが、気持ちが別の方向に向いてしまったら、もうアウト。とにかく嬉しいたのしい気持ちで食べて欲しいから、だるいねむいなんて言ってられず、お昼がすんだら晩ご飯のコロッケの準備。
2021.8.22.sun 曇り/雨
午後から一回目の新型コロナワクチンの接種に向かう。ステロイドなどの薬を飲んでいるため免疫力が低下しているから、もっと早くに予約できたのに、自分は元気なつもりで年齢通りの期間になってしまった。ワクチンの接種については、いろんな情報が耳に目に入ってくる。どんな感じなのだろうと思いつつ、昨日知り合いが受けての様子を参考に晩ご飯は手抜きさせてもらうことにしてのぞんだ。知人が言うには、夜にはだんだん腕がいたくなって、いろんなことへのやる気がなくなると。一応、解熱剤ももらい覚悟しながら家にもどる。家人がご飯の支度をしてくれたのだけど、痛いのは受けた腕より反対の手の甲。イタミさんが対抗しているのだろうか。結局今日は、新入りではなく馴染みのイタミさんとともに夜を過ごすことになりそう。人それぞれだから、あまり意識するのはやめよう。明日は明日のなんとやらということで。
2021.8.21.sat 曇り
五歳の娘が悩んでいる。悩みは何かと言えば、彼女の両親について。そうつまり、わたしちのこと。家人はべらべらしゃべる人ではない。わたしはへらへらとよく笑う。そんな、わたしちの仲が悪いのではないかと心配しているらしい。あまりにも無駄な話をしないから、側で見ていてそう思う気持ちもわかる気がする。娘に「仲がいいってどういうの?」と聞くと、「手をつないだり、キスしたり、ぎゅってしたり」と自分に対してするようなことを思っている。それを聞いて大笑いしてしまった。真剣に言っている人に対して笑ってしまったことに、今は反省している。
娘が寝る時に、仲わるくないから気にしなくてもいいよと話す。納得してくれたかはわからないが、心配させてしまっているこはよくないこと。心のチャンネルを変えて、安心させてあげられるようなことを考えてみるべき。わたしにとって家人が、もっとも尊敬し信頼できる人であることを伝えていけたらいいなと思う。
2021.8.20.fri 雨
朝から久々に好い天気。ずっと家の中に干していた洗濯物を外に出す。ああやっと。気持ちも軽やかになる。しかし午後に雨。激しい雨。窓の隙間から雨が滴る。なにもそこまでと、思わず口にしたくなるぐらい。
夕方、夕日がきれいだった。激しい雨があったからこその、ほっとする眺め。明日はどんな一日になるのだろう。
2021.8.19.thu 曇り/雨
ここのところ雨が続き、落ち着いていた体の痛みをそこここに感じる。炎症の数値が下がっていたので、思い切ってステロイドを減らす挑戦をしようと思っていたのだけど二日で断念。もう忘れそうになっていたイタミさんが「わすれんといてや」と顔を出す。そうそう、そうでしたね。気づかないだけで、いつもわたしの中にいるんですよね。そんな具合で、ここは片意地はらず柔軟にステロイドを減らすのをやめて現状維持。ずっと続くことなのだから、あせらずあわてずいきましょう。そうですよねイタミさん。そして、わたしだけじゃない。不安定な天候の頃には、体の不調を感じている人がたくさんいることを忘れずにいたい。わたしの中にやって来たイタミさんは無口ながらも、いろんなことを教えてくれる。気づかせてくれる。
2021.8.18.wed 雨/曇り
晩ご飯の時の娘の問い。「おとうさんとおかあさんは、こどものときからしっていたの?」「どこであったの?」。どうして、それをききたくなったのかはわからなかったが、いろいろ気になるようで。ちゃんと答えてあげようと思ったのだけど、星ヶ丘? あっ違うか。とわたし自身も曖昧で自分の記憶に問いかける。またゆっくり、20年前のことを思い出しながら話したい。
2021.8.17.tue 曇り/雨
お盆の間、娘だけがわたしの実家に泊まりに行った。三泊すると自分で宣言し、きっちり三泊たのしんできた。二年前のお盆にひとりで一泊したのだけど、それ以来のお泊まり。三日も一緒に寝ないのはもちろんはじめて。娘にしてみれば、よく行く家に泊まるのだから平気だろうし、「おかあさんと一緒じゃなきゃ」というタイプではないので、夜中に帰りたいなんていうことはないとわたしも思っていた。そして思った通り、しっかり遊んできた、しかし想定外のこともあった。帰ってきた娘が「ただいま」とも言わず、「ばいばい」とも言わず、家に入っていくので、どうしてなのか聞くと、わたしの耳元でこそっと言う「はずかしいから」とのこと。しばらく会っていないと、こうなるのだろうか。数日の間に、何かがかわったのだろうか。でもなんとなく、わかるような気もする。会いたかった人に久しぶりに会うと気恥ずかしいというか、てれくさいというか。娘も三日、四日で成長したということ。きっとそういうことなのだろう。
2021.8.16.mon 曇り
よく行くスーパーで会計のためレジに行くと、いつも感じがいいなと思っている店員さんが「髪の毛切られました?」と声をかけてくれた。「お願いします」「ありがとうございます」だけの関係だったはずが、自分のことを覚えてくれていることにドキッとした。とくにマスクをするようになって、ちゃんと顔を見れず人との距離をとってしまうこの頃。そんな昨今だというのに「髪の毛、切られました?」と声をかけてくれたことに体の真ん中が熱くなった。「一年ぶりに切りました」と答えたら、驚いた顔をして笑ってくれた。
雨が降りそうだから、駅に自転車を預けて電車に乗ることにした。自転車置き場のおじさんが「四時ごろに雨が降るみたいですね」と言って見送ってくれた。自転車置き場も発券の自動販売機になったので人と関わることがどんどん少なくなることを感じていたけど、ちゃんと声をかけてくれる人がいることに、また笑みがこぼれる。
以前よりも人を遠くに感じる日々だけど、たったひと言でぐっと心が近くなることを感じた、うれしい一日だった。
2021.8.15.sun 雨/曇り
リーディンググラス、ふたつめの老眼鏡を購入。もともと視力がとてもよく、老眼になるのが早いんじゃないかと思っていたけど、出産してから一気に手元のものがぼやけて見にくくなった。遠くのものは変わらずよく見えるのでそう言うこと。しかし、なんで「老眼」という言い方をするのだろう。老眼鏡として購入するのを躊躇してしまうということは、自分はまだ老いていないんだという気持ちが強いから。とは言っても、ぼやけて針に糸を通すこともできず、まずは100円のメガネを買ってみた。ちょっと弱めからと思って+1.0を選んだのだけど、ちゃんと測定してもらってメガネをかけなければ余計に悪くなるだろうと思い、今日は調べてもらうと+1.5とのこと。ということで+1.5を購入したのだが、距離によってはぼやけるので本当は+1.0でもいいんじゃないのと100円のメガネと交互につけていたら余計に目が疲れる始末。+1.5がちょうどよくなる日が近づいた気がした。
2021.8.14.sat きょうも雨
昨日、菜文さんより「木曜会」のメールが届いた。毎週木曜日に菜文さんの言葉を送ってもらえるとのこと。初めてのメールは、ジンジンと響くものだった。嘘偽りのない、背伸びもしない、飾らない、そのままの言葉。自身を見つめ、問いかけ、前へ歩み出すための言葉。だからこそ響き、そしてわたしも、と力をもらう。
2021.8.13.fri 雨
朝、ゴミを出して裏のドアから家に入ろうとすると、足元の異変に気づく。あれっ、もしかして。味噌を仕込んだホーローの容器を包んでいる新聞紙が濡れてカビがはえている。娘の誕生日にひとつあけて、もうひとつは年末あけようと思っていたのに、カビがどうなっているのか気になって仕方ない。気になってしまってはそのままにしておくことができないから、恐る恐るあけてみることに。カビの生えた新聞紙をめくり、ホーローの容器の蓋をあける。塩の重しの上に乗せた新聞紙に黒いカビ。それをめくると塩の重しにも黒いカビがぱらぱら。そして、それをとると、綺麗な味噌とご対面。もうひとつも美しいキャメル色。まだもうちょっと寝かせてよ、なんて冬眠を起こされたシマリスのような寝ぼけ眼でこちらを見ている。もう一度、戻そうかとも思ったけれど、おそらく失敗するだろうと思い、大きな容器ふたつともを冷蔵庫に入れる。ちょっと早めだけど、まあいいか。これも今年の味噌物語なのだろう。
2021.8.3.tue 雨
天気は雨の予報。家で遊ぶことを覚悟して朝から娘とふたりですごす。一年前はなんとかたのしく毎日をすごすことができたと思っていたけれど、今年はなかなか手強さを感じる。娘の成長についていけていないのか、それとも「こうであってほしい」と自分の頭がかたいのか。次から次へと遊びをかえて、おもたい空気がたまりだした夕方にすこし外へ。小雨がぱらぱらふっているが、気持ちが晴れわたっていくのがわかる。「この夏、ずっと一緒にいるんやから、やいやい言いたくないねん。なかよく笑っていたいねん」と娘にいうと、ぎゅうとわたしにくっついてくる。気持ちはおなじ。ぶらぶら歩いて、葉っぱをひろって、ばらまいて、家まではしって競争し、ただそれだけで重たかったものを忘れてしまう。
2021.8.2.mon 晴れ
今朝、家人たちがまだ寝ている時に、この日記を見直していた。菜文さんの誘いをきっかけに、一月からこの場所でまた書き始めることができたことを思い出す。そして、四月に書けなくなったことも。
三月から少しずつ痛かったのが、はっきりとした痛みとして四月に感じはじめ、五月に関節リウマチとして薬の治療がはじまった。薬を飲みはじめたと言っても効果があらわれるのに一ヶ月かかるとのことで、六月はとにかく痛くて夜も眠れず即効性のあるステロイドをだしてもらう。もう痛みがなかった頃には戻れないのだろうかと不安だったが、七月はステロイドのおかでずいぶん楽になった。とは言え、痛み止めの効果が切れてくる時間には自分の体の叫びを感じ、ああやっぱり痛かったのだと治ったわけではないことを思う。薬を飲み続ければ、いつもの生活ができる。薬をやめてしまえば、また眠れない不安な日々に戻る。そういう体になってしまったということをやっと理解できるようになった。
そして今、言葉を綴りたいと思ったのは、変化した自分自身を受け入れて気持ちが落ち着いてきたからだろう。まぁ、ゆっくりあせらずしたいことをしていきたい。記憶はぽろぽろこぼれ落ちていくので、ここに記していくのが自分のためにもいい。誰かのためではなく、わたしのために。さぁ仕切り直し。あたらしいわたしで、はじめよう。
2021.8.1.sun 晴れ
「贅沢ってなんだろうね」と話す。娘の贅沢はレストランに行くこと、わたしは家族で元気に過ごすこと。元気でなければレストランにも行けない、行っても美味しくいただけない。とにかく元気にこの夏を過ごしたい。
2021.7.17.sat
久しぶりにここに言葉を記そうと思った。前の日記を見て、そういえば痛みに名前をつけていたなと懐かしく感じる。今は痛みを抑えるための薬を飲んでいるから、みんなのことを忘れていた。というより、みんなひっくるめてのただの「痛み」と思って過ごすようになっている。これからもずっとつきあっていくのだから、またおもしろく考えていこう。
2021.5.12.wed
四日前のこと。ついに体の痛みに名前がついた。「実は私こういうものです」と正体をあかしてくれたものの、そうだったのかと思うしかなく。それより自分でも名前をつけることにした。右肩は「イタコさん」で右手は「イタオさん」、左肩は「イタヨちゃん」で左手は「イタタくん」、そして左膝は「イタゾウさん」とういったイタミ家の人々。娘に今日はどう?と聞かれたら「イタコさんが来てるかな」とか「イタタくんがこれから来そうな気がする」とこたえる。毎日のことなのだから、ちょっとおもしろい方がいいように思う。
2021.4.16.fri
気づけば、もう16日。娘の春休みが終わり、進級式を終えて年長となった。幼稚園には行き始めたものの、午前保育だと、さらにすべてが駆け足の毎日。その上、右手首の腱鞘炎、両足の裏の扁平足による痛み、左膝の痛みに今日は両手の薬指がバネ指のように曲がりにくくなる。とにかく、体ががたがたで、少し前まで元気に走り回っていたのが懐かしいほど。体の痛みも気持ち次第なら、しっかりしなければならない。いろいろ毎日気になることもあるが、月曜日から午後保育がはじまる。体の痛みばかり考えず、自分がすべきこともしていかねばならない。
2021.4.6.tue
自転車で星ヶ丘へ。電気の力を借りているとは言っても、ついたころにはクタクタに。
2021.4.5.mon
いろんな情報で頭がいっぱいになるこの頃。知ることも大切、でも知りすぎることはどうなのだろう。もうすこし待てば、きっとという思いがあるのだけど、むすめに我慢させているんだろうなと気持ちが落ち込むことも多々。
2021.4.4.sun
「おふろにはいってるとき、おとうさんが おかあさんのわるぐちをいってたよ」ふたりでご飯をたべていると、ぽろんとおっことすように言ってしまったむすめ。「なんて言ってたの」と聞くと、いけないことを言ってしまったという顔をして「わすれた」とうわめづかいに言う。「悪口」と聞いて好い気持ちにはならない。複雑な顔をしながら、よくよく聞くとおっしゃるとおりという内容。まだまだいろいろあるのだろう。みなまで聞かずに「いろいろ聞いてあげてね」とにっこりわらってむすめに言う。
2021.4.3.sat
自転車にのって、わたしからはなれていく家人とむすめをみていて涙があふれた。自分が幼いころはもちろん、いろんな記憶が消えていると感じるこの頃。今日見たふたりの姿も忘れてしまうのだろう。忘れたくない、忘れたくないと頭と心でくりかえし涙をぬぐう。
2021.4.2.fri
今日、驚いたこと。むすめ、ほはるがわたしが九十九歳だと思っていたこと。歳より顔が若いと思っていたという。本気で言っているのか、どうなのか。昨日ならば四月一日で受け入れることができたかもしれないが、なんとも言えずに首をかしげる。
2021.4.1.thu
図書館にて、娘の友達を発見。年中で同じ組だった子だけど、今年はほとんど親の接触がなくで話したことがないから、どうしようかなと思っていたら、「いこう」と娘が目をかがやかせて私の背をおすように言う。そう、自分が遊びたいからだけではなく、私がお母さんと友達になることを考えていることがすぐにわかる。彼女はそういう人だ。私がどうしようかと尻込んでいても「だいじょうぶ」と背をおす人。結局、お母さんとたくさんたのしくお話しして、お友達になることができた。娘もその子と馬が合うようで、めいっぱい遊んでいた。でも、その後、友達と遊んだことを口にしなかったから、私のことを思う気持ちの方が強かったのかもしれない。
2021.3.31.wed
桜はもう満開で散りはじめている。日曜日は雨とのことで、今が見ごろなのだろう。桜を見ながら団子が食べたいというので、桜を見ながら団子を食べる想像をしてみようと言うと「なんかちがう」という、次はお弁当を食べながら桜が見たいというので、お弁当を食べながら桜を想像するか聞くと「それもちがう」と言われる。とにかく、今が見ごろ。
2021.3.30.tue
二日ほど前から右上の奥歯が動くたびにびりびりと響いて不快な感じがする。いつもなら、しばらくすれば治るからと放っておくのだけど、行きつけの歯科を開拓したい気持ちもあって、思い切って気になっていた医院を予約する。そして、不思議なもので行く決めると痛みが治っているような気がする。まぁとにかく出産前に行ったきりなので、現在、我が口の中はどうなっているのか見てもらうことにする。
歯科というのは大人でも行きたい場所ではなく「いやだな、いやだな」という気持ちをかかえつつ、みてもらうと気になる箇所は虫歯ではないとのこと。レントゲンの写真を見ながら、考えられる4つの原因を丁寧に話してくれる。ひとつめ、ふたつめ、みっつめ、そして、よっつめ。まさに4番目がビンゴのような気がした。鼻水がたまって、それが神経にさわるからとのこと。そして、口の中の状況と言えば、全く違う場所に小さな虫歯がひとつ。こちらも不思議なもので、なんにもないよりも、ひとつだけあってよかったと思ってしまう。今回は丁寧にお話しをしてくださる歯科の先生に出会うために、このちいさな虫歯の叫びを感じ取ったということなのだろう。
2021.3.29.mon
晩ご飯を食べている時にゾンビやキョンシーの話になる。「わたしはそこまでしてまで、ここにいたくない。生きている今を満喫したい」と娘に言うと、笑いが消えて「もうこのはなしはやめよう」と言って、「おかあさんには、そのままのかおで、ひゃくじゅっさい、ひゃくじゅうまんさいまでいてほしい」とつづける。ひゃくじゅうまん歳、想像もつかない年齢だけど、娘の気持ちはまっすぐ伝わる。ありがとう、自分は二の次なんて言ってないで、まずは自分を大事にして元気でいないといけない。娘とよりながく一緒にいたい。そう思った時、我が母のことをも考えていた。
子どもを幸せにするのなんてとても簡単なことですよ。
親が笑顔ならそれだけで子どもは幸せなのです。
自分が親を幸せにしたと思って自信たっぷりに育っていくのです。
佐々木正美先生の言葉が胸に響く。
2021.3.28.sun
落ち着いて言葉に向き合いたいが、春休みに入ってから気持ちがまっすぐひとつに向かっているため、すこしお休み。休みすぎると、またはじめることができないため、ひと息ついてパソコンをひらく。
2021.3.27.sat
この十日間、いろんなことがあった。書き留めておきたいこともあるのだけど、ゆっくり落ち着いてしるしたいと思う。
そんなこんなで、もう春。あちらこちらで桜がうたう。
2021.3.17.wed
ご機嫌をうかがっていた洗濯機も、いつどうなるかわからず、新しいものにバトンタッチしてもらうことにする。これで最後かなと夜中に「入」を押すと何回目かに動き出す。
2021.3.16.tue
朝、起きても腕を動かすと少し痛む。しかし、すこしましになっているような気もする。昼にはもっとましになり、夜には「なんだったんだろう」と思うほど楽になっていた。つまりは、自分の体の声を聴きなさい、見つめなおしなさいという合図だった気がする。次の特定健診は行かなければならない。
2021.3.15.mon
家人の誕生日。夜に左わきあたりが痛くなる。腕を動かすたびに「いたたた」、横になっても、なにをしても「いたた」と言ってしまう。ここのところ体のあちこちが悲鳴をあげている気がする。
そして、結婚してから購入した洗濯機がついにとまった。「入」のスイッチを押すたびにピッと音が鳴り、洗濯機さんの「まだ動きたい」という心残りな気持ちをは感じるのだけど、どうしてあげたらいいのだろうとじっと見つめる。もう何度も修理をしてきたが、今回はお疲れ様とお別れする決意をかためる。冷蔵庫とともによく頑張ってくれたと心より感謝。
2021.3.15.mon
2010.03.15.mon
朝が来た。本当に昨日の今日なのだろうか。母は一睡もしていない。父も怪我をした次の日だから、顔が腫れてしまって痛々しい姿。今日は行けない、そういう父に私はなんと言ったらいいのだろう。痛さ以上に、父の辛さを考えると涙がまた出てくる。でも、今日は日本一、好い笑顔の花嫁にならなければと、自分のほっぺを叩いて喝を入れる。今日という日まで、たくさんの方が力を貸して下さった。そして、お忙しい中、お祝いに来てくださる方々がいる。私が悲しい顔で泣いていてはいけない。しっかりしなさいと自分に言い聞かせる。
早朝6時に旅館を出てお式をあげる彼の実家に向かう。着付けをしてくださる美容院の方は早くから来て準備が始まっている。ありがたい。気持ちを前向きにしてくれる。まずは色打掛を着させて頂く。着物を着るのも初めてだから、何をどうしたらいいかわからず、鏡の向こうの変わっていく自分の姿をじっと見ていた。美容院の方はとてもよくしてくださって、一度会っただけの私のことも理解して、出来るだけ自然に近いお化粧をと、外の光が入る場所でしてくださった。色打掛は写真撮影のためだけで、着ているのは実質10分。自分たちの着付けのために、早く来た母や叔母が父や兄に急いで来るように連絡してくれた。しばらくして、遠くに見える父の姿。怪我をした部分が痛々しい。でも、来てくれた。いつもの堂々とした姿で、父が来てくれた。私を見てほしい。今日という日の私の姿を父に見てほしい。また涙が溢れる。嬉しいけど、父の目をちゃんと見られなくて、カメラマンの方の言われるままに、ぎこちない笑顔で頭をカメラに向ける。そして白無垢。美容院の先生の早着替えは素晴らしい。さすがプロと言わんばかりに、全身真っ白。頭には角隠し。昔、母が結婚した時と同じ姿。我ながら、鏡の中のお嫁さんに見入ってしまう。数日前に、実家で見せてもらった花嫁姿の母にどこか似ている。お式は仏前結婚式。右に習えで、寸前に教えてもらったことを彼に続いて行う。いろんなことがあったけど、これまで本当にいろいろあったけど、二人の家族が揃ってお式を行うことができた。穏やかな陽射しのもとで行う飾りのない結婚式。和やかで、幸せなお式をさせて頂いた。
お式が終って、披露宴というか会食のための準備。ウエディングドレスに着替える。お化粧も和装とはまた違っていて、普段しないから新鮮というか、どうなるのだろうと興味津々。ドレスを着ることを内緒にしていた母まで着替えているところに来てしまって、サプライズも早々にバレバレ。とにかく、手作り満載の式だから、タイムスケジュールもびっしりで分刻み。着替えが終わると急いで車に乗って食事の会場へ向かう。新郎が運転して、助手席にドレスの新婦が乗ってる。我がことながら不思議で可笑しい。会食のお食事はとても美味しく、私ももりもり食べた。司会を彼のお兄さんがして下さったので、突然プロポーズをさせられたり、私から彼への内緒のバースデープレゼントや手紙があったり、彼にとってはとんでもない日だったはず。本当に身内だけのお式。お食事をしながら、私の身内と彼の身内が家族になる時間。父も母も兄も緊張しながらも料理を食べてくれていたので安心した。会が終わった時に渡すプチギフトは、バイエルの三倉さんが準備をしてくれた。手作りのカステラ。新しい大阪の住所をお渡しするにあたって、大阪のスペシャルなお菓子を渡したかった。だから、気持ち好く引き受けてくれた事に感謝するばかり。しかも袋にボートの絵。私達の出港の時を描いてくれているよう。三倉さん、本当にありがとう。
会が終わって、ドレスのまま彼の実家に戻り、ひと息ついてから婚姻届を出しにいく。時間外だから守衛さんが届け出を受け取ったという書類を書いてくれた。でも、今回で二回目だからと言って、何度も用紙に書いている内容を確認している。そんな守衛さんとのやり取りも思い出となるんだろうな。
長い一日だった。いろんな思い溢れる一日だった。とにかく、今日という日までに繋がり、関わってきた人たちに感謝したい。生まれて、今日という日までに出会ったみんな、みんなに。そして、いつ、何が起こるかわからないということも身を持って体験した。そんなことも、これから二人で一緒に助け合って乗り越えていきたい。いつまでも感謝の心を持って歩んでいきたい。みなさま、ありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いいたします。
2021.3.14.sun
朝から家人たちが段ボールでつくった刀をふりまわして遊んでいる。わたしは矢野顕子さんのうたをききながらパソコンいむかう。頭のなかは、お昼ご飯と晩ご飯はなににしようかと考えているのだけど。
昨日、知っている方の展示を見に行く。人に会い、ゆっくり絵を眺めるというのも久しぶりだなと、気持ちが呼吸をしているのを感じる。初めて会ったかたとお話しをしていて「インスタグラムの情報の速さに流されてしまう自分が嫌になることがって、フォローしていてもたまにしか見られなくて」というと、その人は「そう感じることはふつうだと思います」と言ってくださった。自分のなかだけでもやもやとしていたことを人に話せたことで、すこし気持ちが晴れる。人に会って、目をみて、話すことの大切さを実感する一日だった。
2021.3.13.sat
あと一週間ほどで、年少のクラスが終わり春休みにはいる。そして、娘を通してこの一年を振り返り、自分の感情で怒ることがおおかったかもしれないと考える。いろんなことができるようになっていて、できるはずと思っているのに、しないことにいらいらしてしまう。なんでと思う時でも、ひと息おいて待てる人でありたいと娘が寝た夜中に思うのだけど、次の朝には気持ちの器はいろんなことで満杯に向かう一方で。
読みたいけど、読んだら反省することばかりだからと、最近なかなか頁をめくることができなかった佐々木正美先生の本をお風呂でひらく。もう何度も読んでいるから、折り目はついて、線引きして、お風呂で読むからぼろぼろの本。子どもへのことで迷ったり落ち込んだりしたら読むことにしている。年長に向かう娘のためにというより、今という時を大切にしたい自分のために、耳を傾け心よせて目をそらさずに読もうと思う。
2021.3.12.fri
午後から雨。朝からずっとすっきりしない。喉なのか、頭なのか、体なのか。とにかく今は、体調を崩したくない。
2021.3.11.thu
2011.03.11.fri 「静かに騒がしく」
午後3時過ぎぐらいから、職場の喫茶におられるお客様が静かに騒がしくなる。携帯電話で電話をかける人、小さな画面に目をやってメールかインターネットをする人。皆、表情は険しく、何があったのだろうかと、全くわからないことに心配をし始める。お会計を済ませた若い女性が関東で大きな地震があり、新幹線が止まっいるということを教えてくださる。それでも、ニュースも何も見られないから、私達は何がなんだかわからないまま。とにかく、閉店時間まで いつも通りに笑顔で接客をしていた。仕事が終わって、人から地震のこと、津波のことの状況を聞く。皆、話すことが少しずつ違っていて はっきりと理解できない。
主人のいる早く家に帰りたいと、急いで三条京阪に向かう。日本のすぐそこで、信じられないことが起こっているのを知らずに、京都の町は賑わっていた。
2011.03.26.sat 「優しい気持ち」
朝は、晴れていた。風はとても冷たい。職場に着くころに雪が降りはじめ、しばらくして止んで、また降って、と繰り返しの一日。晴れたり、曇ったり、強く風が吹いたりと、なんとも気まぐれ、ややこしい天気。今日も京都の日本茶の喫茶室は、お客様にお待ち頂くぐらい賑わっていた。朝から乾燥で喉が痛く、風邪をひいたらどうしようと心配しながら声を出す。私は笑ってお客様に話しかけるのが好きだということを、また改めて思った。いつも、いつでも、繰り返し感じる。そして、今、私が誠意を込めて出来ること。心をこめて、心をこめて、笑顔で感謝を伝えたい。
昨日の夜、ラジオ深夜便で大林宣彦監督がお話されていました。東北の被災地の方々が聞いてくださってることを考え、語りかけるように、話しかけるように、優しく、ゆっくり、心の声を言葉にされていました。ラジオや人前でお話されることも多々あるだろうし、私も何度もお話を聞いています。でも、気持ちを確かめるように、ひとつ、ひとつ、丁寧に言葉にされていることが伝わってきました。言葉や気持ちとして形にするだけではなく、そこに心を込めることが大切。伝えたい、その人たちにどう伝わるかを考えて声にすることが大切。ゆっくり、ゆっくり、お話をされる大林監督の言葉から感じること、考えることが深く、深くありました。私に出来ることを考える。私が出会う人たちに、笑顔で、感謝の気持ちを込めて「ありがとう」と伝えること。遠くの土地で、生きること、愛する人を思うことから、力や勇気をくださる人たちに感謝の気持ちをこめて、私も目の前の日々に「ありがとう」を全力で伝えていきたい。今、このときのためにしたいことを、今日も明日も、心や頭や体、全部、全部、まっすぐに気持ちをこめて、目の前にある人やものや全ての事柄に感謝を伝えたい。きっと、それこそが大切なんだと思う。優しい気持ちが溢れる今を大切にしたい。心からそう思う。
2021.3.10.wed
明日で東日本大震災から十年。ずっとラジオに耳をかたむけていた日々を思う。
2021.3.9.tue
いつも「いただきます」も「ごちそうさま」も、なかなか言わないのに、晩ご飯を食べ終えて「ごちそうさま。おかあさん、ありがとう」と言ってくれた。何をつくろうか、何がよろこぶか、よろこぶものばかりでは体に悪いだろうかと、毎日のご飯を考えているから「ありがとう」のひとことが、なによりうれしかった。今まで悩んだことも、全部ふっとぶほどの力をもらった。
2021.3.8.mon
知っている人がいるところにでかけることができないこの頃、「和美」という自分の名で呼ばれることがすくなくなった。幼稚園では「ほはるちゃんのお母さん」で、近所では「なかじまさん」、雲の生まれるところやブックロアの仕事は「はたおさん」。娘からは「おかあさん」で、実家に行けば「和美」と名前で呼んでくれるが、たびたび行けなくなっている。
夜になって「ああ、わたしってどこにいるのだろう」とふと思った。そんなことを考えていた時、娘がお風呂から出てきて「おかあさんは『わたし』ってじぶんのことをいうけど、『わたし』じゃなくて『おかあさん』っていって」という。まさにそんなことを考えていたから、「わたしから、わたしをとらないで」と言ってしまった。娘はきょとんとしていたけど、それ以上は何もいわなかった。わたしの口調と表情から何かを感じたようで「おかあさん、だいすき」と寝るまでに何度も言ってくれた。おだやかな寝息が聴こえるころ「ああ、わたしはここにいる」と気持ちも落ち着き、ありがとうと心からおもった。
2021.3.7.sun
緊急事態宣言が解除になり、久しぶりに車で京都方面へ。友人のところにベビーカーなどを持っていくので、京都に遊びにいくのとはちょっと違うが、近くても久々のお出かけ。公園でお弁当を食べて、遊んでから、本屋さんやおもちゃやさんをぶらり。ずっと家や近所で遊んでいた娘のために、たのしいことを考えてくれたお父さん。娘にとっても楽しい一日だったと思う。
2021.3.6.sat
寝る前に右下の奥の歯がいたいという。いろんなことを後悔しているのか、ぐすぐすいいながら寝てしまう。
朝おきて
きげんがわるい きみのために
笑顔のじゅもんをさがしている
2021.3.5.fri
2021.3.4.thu
目の前に壁があらわれると、どうしようと立ち止まるのだけど、それをどうやって乗り越えていくべきかを考えるために壁があるのだと思いたい。ふりかえるよりも前に進むにあたって、どうしていくべきかを考えよう。そう自分に言い聞かせる。
2021.3.3.wed
朝起きて、まだ喉がいたい。今日に病院に行くか、明日に行くかと迷う。いつもとは違ういたみだから、耳鼻科に明日行こうと思い。唾液を飲んでは、治りますようにと祈る。そうしていると、祈りが届いたのか、どうなのか、お昼すぎにましになってきて、夜には寝る本も読むことができた。喉の痛みがましになってよかったと思っていると、今度は自分の番だと足の裏の腫れがいたみ、いやいや、うちやと左の薬指も手をあげる始末。そんな急がんと春を待とうや。押し合いへし合いの痛み合戦をなんとかおさめなければと、お願いやからと、また祈る。
昨日のその前の夜から
喉の奥がさすようにいたむ
おなじころから
左手の薬指がバネ指なのかまがりにくい
もうずいぶん前から
左の膝がいたいのと
右足のうらが見た目にはわからないが腫れていて
靴やスリッパを履かなかったら歩くたびにいたい
肩はつねにこっているのと
目は近いものが見えにくい
ここ数年
自分のことは後回しにして
体の声に耳をかたむけようとしなかった
それが いっきに叫びはじめ
そこここに不調があらわれる
いっぺんになのは たまたまなのか
46歳からはじまる障害物競争に参戦したのか
ひとつひとつに向き合ってのりこえないと
知らんまに過ぎていたというわけにはいかないのだろう
まずは喉のいたみから
しばしの休息
こどもと一緒に本を読むのは休むことにしよう
とおもうが
休むことができるのだろうか
2021.3.2.tue
「今日、楽しかったことは?」
「あなたとおふろに はいったこと」
ねるまえの問いと
むすめのこたえ
2021.3.1.mon
2021.2.28.sun
二月の最後の日。明日に緊急事態宣言が解除になって、なにをゆるめていいのだろうかと考えてしまう。気をつけないといけないことはかわらないので、今まで通りでいいのだと思いなおすのだけど、娘はしたいことがあるようで目をかがやかせる。何も言わないが、本当はいろいろ我慢させていることを感じるこの頃。
そういえばと
おもいだす
夏にきていた服を
まとめてしょぶんしていたことを
ちょっとのほつれや
やぶれなら繕ってなおすが
うすくなってびりびりとやぶれてしまい
あて布をして縫ってみたのだけど
みためも着心地もどうしようもなく
秋のおとずれとともに
あきらめておわかれした
寒かった日々から一変
あたたかくなって
雨がふって
さむくなって
また雨がふって
冬から春にうつりかわる
春がくれば夏もちかくなり
そういえばと
おもいだす
2021.2.27.sat
よなか
かけぶとんから とびだして
うえへうえへといく むすめ
ロケットみたいだから
「きょうは
おとうさん わくせい にいくか
わたしの わくせい に くるか」
と わらってはなし
「ゆめ の せかい へ しゅっぱつ
そのさきには なにが ある?」と きけば
むすめは まよわず「あさ」と こたえる
わたしは「あした」かな といって
はなしは つきず
あさ にも あす にも
なかなか むかえず
2021.2.26.fri
郵便受けにとどいた
彼女からの葉書
つづる言葉につばさがあり
読み終えたあと
葉書のなかの
彼女は羽ばたき
おだやかな笑顔が
手もとにのこった
「わたしもいかなきゃ」
以前のように
あせる気持ちはない
彼女のおかげで
気づいたことがあるから
風にのる言葉たちに
ほほえみかえして
「わたしはわたし」と
足もとをみつめる
2021.2.25.thu
「おかあさん、もうすぐやで」
台所に呼びにきてくれるので
わたしもテレビの前にすわる
「もうすぐ」
登場するのはトトロ
『となりのトトロ』の映画を観ながら
トトロやネコバスの真似を
身ぶり手ぶりでする娘
トトロから感じる
ゆたかな気持ちを
大切にしていてほしいと願う
わたしもまた
大事にしていたいものが
そのなかにあって
トトロの映画に
気持ちをゆさぶられる
自分でありつづけたい
2021.2.24.wed
2021.2.23.tue
昨日あたたかかったのが一変、今日は空気が冷たい。朝ご飯のしたくができてから家のまわりをぐるりと歩くと、昨年咲き終わったチューリップの球根を埋めておいたのが、しっかり芽を出していた。尊敬すべき雑草力を感じて、昨年よりも強くたくましい花が咲くような気がした。
あたたかな日
窓を開け放ち
家とともに深呼吸
窓から窓へ吹きぬける風は
うまれたての春のにおい
2021.2.22.mon
シロバナタンポポ
ホトケノザ
ヒメオドリコソウ
オオイヌフグリ
ナズナ
ハコベ と
セイヨウタンポポ
あぜみち あるいて
春さがし
ふああ と
おおきなあくびが こぼれ
ふうわり春が
もうひとつ うまれる
2021.2.21.sun
『個性は自分では決められないもの。何も一つのことでなくてもいい、自分がおもしろいと思うことをやり続けていく。その積み重ねが、個性となる」小野かおるさん
「人間は失敗を恐れないで、失敗の上に足をしっかり踏まえて、考えて、またやり直してみることが大切。今はまだわからないかもしれないが、うまくいかないことがたくさんあるということが。大きくなるにつれてわかってくる。そのときはがっかりするでしょうが、くじけないでまたやり直すこと」佐藤忠良さん
「人にはしられなくとも、自分のやりたいこと、それを通じて他の人のためになるということを黙ってしっかりやる。お父さんもお母さんも、人間はみんな、そうやって生きている」加古里子さん
「電車に乗ったときなんかに集中して考える。このテーマは絵本になりそうと思ったら手帳に描きとめます。電車に乗るたびにそれを一ページずつ増やしていうような感じでつなげていく。途中で「大した話じゃないな」と思っても書き続ける」井上洋介さん
「お母さんの幸せを一番に考えること」赤羽末吉さん
「子どもは大人の生き方を見ている。いくらモノが足りていても、人間の品格や大切なものを忘れてはいけない」加古里子さん
『絵本作家のアトリエ 1』よりメモ
手紙がとどく 手元にとどく
宛名をみて 封をあけて
折りたたまれた紙をひらいて
ひと文字 ひと文字
一枚 一枚 読みすすめる
わたしのために日々を綴り
封をして、宛名を書いて
投函してくれたことをおもい
その時間に愛しさを感じる
すぐに返事をかきたいのだけど
なにをかこう
あんなこと こんなことと考えて
自分の手元にバトンがある時間を
しばらくたのしみたい
いろいろなことが簡単にできて
キャッチボールのように
一瞬で返事を送ることもできる
指先をふれるだけでは伝えられないこと
感じられないことがあるのだと
手紙はわたしに語りかける
時間はかかる方がいいし
手間もかかる方がいい
めんどうな方がいいし
うまくできなくてもいい
ものはすくない方がいいし
不便な方が
便利よりもゆたかな気がする
一通の手紙から感じるものは
数かぎりなくあって
わたしもまた時間を感じる手紙を
時間をかけて手元にとどけたい
2021.2.20.sat
2021.2.20.sat
昨日の夜は咳をしなかったので、ほっとしていたのだが、今夜はちょっとあやしい雲ゆき。
「おとうさんとおかあさん おおすぎ
わたしもおなじぐらいがいい」
「体の大きさがちがうやろ」
「わたしは これからおおきくなるけど
おかあさんは もうおおきくならないやん」
「ほんまやな」
チャーハン、スパゲッテイ、ラーメン、やきそば
ごはんのときの毎度のやりとり
2021.2.19.fri
2021.2.18.thu
昨夜は娘が前日よりも咳き込み、夜中ずっと背中にクッションを置いてあげたり、抱っこして体をたててあげたり、いろんなことをしながら寝かせて、私は端っこの布団のすみに丸くなって寝た。かなり室温が下がって寒い夜だったので、自分の風邪がひどくなっていたらどうしようと起きてから不安になった。それよりも心配していた当の娘さんは「なんで、こんな場所で寝ているの?」と夜中に咳き込んだことをまったく覚えていない。そんなものかと思ってしまう。それでもきっと眠れていないだろうし、今夜は早く眠くなるだろうと思っていたら、いつも以上にテンションが高く、いつも以上にしゃべり続け、あまり眠れていない私には刺激が強すぎた。布団に入ってからも、まだしゃべりたそうだったので、ねんねんころりのおまじないをかけて寝てもらう。今夜はぐっすり寝てくれますように。私も早めに寝ることにしよう。
母にいわれたことを
素直にうけいれられなかった
娘のすることに
腹をたてておこってしまった
ひと息つけば「わかった」と言えたし
目をつりあげて
おおきな声を出すこともなかった
そして、あらわれる
こどものわたし
今のわたしを だまって見ている
わたしはうなずき
母に連絡をする
娘をだきしめる
こどものわたしも
うん とうなずき
今のわたしに しずかに重なる
2021.2.18.thu
2021.2.17.wed
寒い。そして風が強い。そんな中、朝から自転車で病院にいく。娘の予約と一緒に自分も一応みてもらう。自分は痰がからむぐらいだと思っていたのだけど、しっかり薬をもらってしまった。娘の薬は明日への希望、わたしの薬は風邪ひきであるという太鼓判のように思えた。
2021.2.16.tue
娘が寝てから、ゆっくりパソコンをひらいて文章を考えようか、それとも図書館で借りた本を読もうかなと思っていたら寝る部屋から咳が聞こえる。ついに来た。そうなるともう言葉はちりぢりバラバラになるし、本の文字も頭に入らない。どうかどうか咳がおさまりますようにと、しずかに唱えながら布団をかぶりこむ。
2021.2.15.mon
夜、強い風が吹いている。明日の朝の外の景色を見るのが少しこわいぐらい。
インスタグラムに「ほはるぶんこ」という場所をつくって、娘と読んだ本をまとめている。そうやってしはじめると本当に文庫をしているような気持ちになって、どんな本をならべようかと悩むのもたのしい。最近好きなのはロジャー・デュボアザンで、どの本も読み終わってほっとする。そして、前向きな気持ちになれるのがいい。『ロバのロバちゃん』は、あるがままそのままで、自分は自分らしくでいいのだと教えてくれた。『めうしのジャスミン』の我が道をいく姿にもあこがれる。
心配していたことが
心配するようなことではなく
ああよかったと心がおどり
しぜんに顔がほころぶ
窓のそとに目をやると
大雨に強い風
頑固な寒さを吹き飛ばし
春をむかえる準備をしている
やんわり笑顔になるためには
ひつような雨風なのだ
そんなことを思う わたしの心は
すっきりと晴れわたっていた
2021.2.15.mon
原さんが亡くなった
原さんに会ったのは
数えられるぐらいかもしれない
それでも
亡くなったことを聞いて
わたしのなかに
原さんがあらわれた
横須賀の漁師町の言葉で
あらい口調だったけど
まっすぐで裏表のない人
きっとそうだと思う
今でも覚えている言葉は
くじ引きで
大根が当たったわたしに言ったこと
「新幹線で大根もってたら
かっこいいじゃねえか」
横須賀から大阪まで
おおきな大根をもって
新幹線に乗る様子を思うと
今でも笑える
あの時は持って帰らなかったけど
原さんがくれた言葉を
今もこれからも
ずっと大事に持ってたい
2021.2.14.sun
たがやす
土を たがやす
田んぼの 土を たがやす
かたくなった 田んぼの 土を たがやす
ぬくもりをふくみ かたくなった
田んぼの 土を たがやす
いのちを抱き ぬくもりをふくみ かたくなった
田んぼの 土を たがやす
土のにおいは
あたたかくて おだやかで
鼻からしずかに吸いこめば
体にいのちがゆきわたり
力がわいてくる
たがやす
心を たがやす
わたしの 心を たがやす
かたくなった わたしの 心を たがやす
ぬくもりをふくみ かたくなった
わたしの 心を たがやす
いのちを抱き ぬくもりをふくみ かたくなった
わたしの 心をたがやす
土のにおいは
おおらかで たくましく
口からゆっくり吐きだせば
体にいのちがゆきわたり
冬の寒さに凝りかたまった
心をやさしくほぐしてくれる
2021.2.13.sat
ミソミソミソ
おおきなこえより
ちいさなこえが気になるもの
ミソミソミソ
こそこそばなしは
よりさらに
ミソミソミソミソ
こそこそばなしと思ったら
味噌を仕込んだというはなし
今年はいいかとあきらめていたが
ミソミソばなしが気になって
あたまのなかで
ぷくぷく豆がふくらみだし
ミ ソソ
ミ ソソ
わたしも豆とおどろうか
2021.2.12.fri
しずかな波のように
さしこむ光のように
ふきぬける風のように
庭であそぶ鳥のように
あしもとに咲く花のように
わたしにとどく言葉
両手でそっと受けとめて
なぞるように声にする
波はわたしをゆらし
光はわたしをてらし
風はわたしをさそい
鳥はわたしを愉しくさせて
花はわたしに力をくれる
しずかにとどく言葉
宛名のない手紙
わたしは待つ
そこから続く
ゆたかなものをつむぐために
2021.2.11.thu
朝の言葉は
おおきくたかく
夜の言葉は
ちいさくふかく
そんなことを思うのは
娘が寝てから
なんであんなことを言ったのだろうと
強くしかったことを
反省をしてしまうから
明日の朝には
日がのぼるような
かがやく言葉が
おりてきますように
そして
かがやく笑顔で
抱きしめてあげたい
2021.2.10.wed
2021.2.8.mon
娘が日曜日から鼻水が出はじめて、ついに痰がからんだ咳をしはじめる。この頃の気温差のせいだとは思うのだけど、年末に風邪をひき、年始に治ってから、ずっと平穏で元気な毎日だったので続かないことに落ち込んでしまう。しかし、落ち込んでいる場合ではなく、なんとか自力でよくなるようにと願うばかり。そして、わたしや家人が一緒に風邪をひかないように気をつけなければならない。
ひとりでトイレに行くようになった。
自分でおしりをふくようになった。
ボタンのつけはずしができるようになった。
靴下を上手に履けるようになった。
歯磨きも見本を見せながらだけど、
自分でするようになった。
着替えも気分次第でできるはず。
読んでほしいというが、
なんでも自分で読めるようになった。
はじめに書けていた文字の向きを間違うこともあるが、
「あ」「め」「え」「そ」「ね」「れ」なども、
書けるようになった。
かきこむこともあるが、
お箸を使う気持ちになっている。
ちょっとした山なら一緒に登れるようになった。
乗り出しはまだひとりでできないが、
二輪の自転車に乗れるようになった。
てきとうなところもあるが、
そのあとに楽しいことが待っていたら、
片付けもするようになった。
四月に年中から年長になる
五歳の娘
毎日、もうちょっとこうしてほしいとか
いろんなことを思いつつも
よくよく考えると
この一年でいろんなことができるようになっている
なかなか進まない時には
「しようという気持ちが大切やで」と話しかけてきた
そして、いつも
その言葉は自分に跳ね返ってくる
わたしはというと
この一年に何ができるようになったのだろう
口ばっかりは自分だと
成長する娘を見て感じる日々
今日はひとりでパジャマを着るからと
別の部屋で呼ばれるのを待っていた
やっときた娘の背中は
たすき掛けのバッテンにねじれているが
ボタンはしっかりとめている
着替えた姿というより
「やる気」の姿を見せてくれた
わたしも来年の今頃に
完璧ではなくても
できたことをいくつか言えるようでありたい
きつそうなパジャマに「なんか違う」と
こまった顔の娘を見ながら考えていた
2021.2.8.mon
左足を椅子にぶつけた
指先をとんとぶつけた
そのとたん
「チーン」と頭にひびく痛み
思わずもれた「いたい」の声も
頭のてっぺんからぬけていく
肩からも何かが出ていくような
痛みの正体は
しもやけ
「いたい」「いたい」と
声にしないともうおさまらない
そしたらまたぶつけてしまう
かるくとんが、とにかく痛い
ジンジンではなく
チンチンと痛い時が一番つらい
靴下をぬいで見てみると
並んでみんなまっかっか
ぱんぱんにはれた子たちに対面し
ぶつけてごめんねと頭をさげる
2021.2.7.sun
2021.2.6.sat
「ほら、見て、見て」とむすめに言って、眺める先には私にとってのハッピー号、ドクターイエロー。これまで何度か見ているけれど、今回は頭からお尻までの前身を見れたもんだからうれしくて興奮。きっと彼女もとむすめをみるとちらっとは見ると、田んぼの側を流れる川に石を投げ入れることに喜びを感じて夢中の様子。まあいいかと思いつつ、私にとっての黄色のというのは心をぐっと持ち上げてくれる色だと思い、黄色いもののことを考えていた。
歩く、
歩く、
風を感じて空を見上げる
梅の花に気づいて香りを思い
鳥のさえずりに立ち止まる
信号がかわる前にと走り出せば
体の重さを感じて
ひとり笑みがこぼれる
2021.2.5.fri
朝
幼稚園のバスが来るのを待つ間
取っくみあいになるふたり
ひとりはわが娘で
もうひとりは同じ歳の男の子
聞けばけんかじゃないという
だから
しばらく放っておくのだけど
つかみあって
顔に手がいきそうになって
鞄をひっぱって
だんだん
けんかのように見えてしまい
いてもたってもいられず
「わたし、こんな遊びはいやや」
と思わずふたりの間にはいってしまう
もう一度聞いても
やっぱり遊びなのだという
よかれの気持ちもただの邪魔もの
取っくみあいには合わないが
きゃっきゃとわらってしてほしい
2021.2.4.thu
母の畑のにんじんをもらいにいく
ずんぐりむっくりのかたちであっても
冬の寒さにあまさをたくわえ
蒸したにんじんはとてもおいしい
自分たちが食べるのは買っているらしく
安心安全の野菜はわたしや孫のために
つくっているようなもの
わかれぎわに母がいう
「あんた、あのこがいてほんまよかったな」
涙は見えないが目元がふくよかな気がした
わたしはといえば「ありがとう」と
いつものようにかるく言って
自転車のペダルをふみ込む
曲がり角でふり返ると
やっぱり母はわらって手をふり続けていた
いつでも会えると思いながらも
いつでも別れづらさを感じるこのごろ
それでも
きょうという日は一日かぎり
白梅と蝋梅のかおりにつつまれた
母のほほえみとやさしさを
わたしの中の暦、立春に記す
2021.2.3.wed
2021.2.3.wed.am
今日は立春。暦の上では春。しかしながら、はく息白く、室温8度。
昨日の2月2日の節分というのは124年ぶりに日にちがかわったとのこと。すぐに忘れるのでメモしておこう。
かんぴょうを水であらい
しばらくつけておく
塩でもんであらって、すこしゆでる
もどいておいた干し椎茸と一緒にかんぴょうを煮る
去年の節分にはちらし寿司をつくったようだが
今年は太巻きをつくることにした
関西に生まれ育ったといっても
恵方巻きに興味はない
節分に巻き寿司を食べる意味もわからないのだけど
子供に季節を味わわせてあげている
自分でありたい
本をみながら、すし酢を合わせ
ご飯をたいている間に卵焼きをつくり
みつばを茹でる
料理が得意だと大きな声で言わないし
苦手だということも口にはしたくない
子どもを産んでからは
できることはやってみようと思い
お菓子をつくったり
毎日のおかずに悩んだり
失敗することもあるが
なんでも黙って食べてくれる
家人が心の支えとなっている
土鍋で炊いたご飯にすし酢をまぜて
静岡の人にもらった海苔で巻いていく
幼稚園に迎えに行く時間が近づいてきたから
あわてて四本だけ巻く
太巻きというよりも中巻きの巻き寿司
朝、昼、晩と台所に立ち
晩御飯の片付けがおわると
長距離を走り終えたような
気持ちよさを感じる
子どもが喜んで食べてくれたら
もちろん嬉しいのだけど
毎日のことだから
どんな反応であれ
終われば、ほっとするようになった
2021年2月2日の節分の
晩御飯の巻き寿司を
「おいしい」と言って食べてくれた
店で買うことも頭をよぎったが
これも経験
明日のわたしに
好いバトンをつなぐことができた
2021.2.2.tue
まるい大豆に水をそそぐ
はおった洋服ゆるみだし
ぷくぷくぷくぷく ふくらみはじめる
もとの形にもどろうとして
もとの形を思いだす
わかった順から まるから ながまる
ちがった形もいいなと思って
夢みた形にふくらむのもいい
わたしが豆なら なにになろう
はばたく鳥もいいけれど
根をはる草木や花になりたい
ひろい夜空でかがやくよりも
ころがりまるまる石になりたい
それでもやっぱり
大豆は大豆で
わたしはわたし
ゆたかな心の人になりたい
2021.2.1.mon
2021.2.1.mon
実家は錠前の工場で父は多くの特許を持っている発明家。昔、寝ていた父が急に起きて思いついたことをメモとして書いたりしていた。寝ても覚めてもあたまの中はあたらしい鍵のことでいっぱいだったのだろう。
まだ数日だけどホームページに詩や日記を書くようになってスケッチブック、日記帳、日々のおかずの記録ノート、雲の仕事ノート、買い物メモとパソコンを食卓に積み重ねている。思いついてもすぐに忘れるからいつでも書き込めるようにしていて、父と同じとは言えないが、あたまの中は常に動いているこの頃。
そして、もうひとり柔軟なあたまの人がそばにいる。「ちょっと、かいてもいい?」とわたしのノートにささっと描いていく娘。父も我が子も、わたしにとっての発想の人。尊敬すべき人たちだとつくづくおもう
がしゃ、がしゃ、かしゃ、かしゃ
ふゆのやま
ぱしゃ、ぱしゃ、ぱり、ぱり
おちばのささやき
つちをふみしめ
あるくあしもと
いっしょにあそぼと
おちばがさそう
がしゃ、がしゃ、かしゃ、かしゃ
ふゆのやま
ぱしゃ、ぱしゃ、ぱり、ぱり
おちばがうたい
うえへしたへと
うごくあしもと
いっしょにおどろと
おちばもダンス
がしゃ、がしゃ、かしゃ、かしゃ
ふゆのやま
ぱしゃ、ぱしゃ、ぱり、ぱり
おちばがふわり
つるりすべって
あしもとういて
しりもちついたら
おちばもわらう
2021.1.31.sun
2021.1.31.sun
緊急事態宣言中の週末、土日。家でずっと仕事をしている家人は落ち着かない。かと言って、遠出をするわけにもいかず、近所の山へ。それほど高くはないのだけど、落ち葉がつもりつもった急な山道をあるくのはかなりスリリング。下り道で、すっ転ぶのをたのしむ家人と娘。かわいた落ち葉も一緒になって遊んでいるようにみえた。
いち、に、さん、し、ご、
ろく、しち、はち、きゅう、じゅう
もう いいかい
まあだ だよ
もう いいかい
もう いいよ
どこかな どこかな
あ
みつける前にでてきてしまう
子どもたちのかくれんぼ
かくれんぼというより
みつけてんぼ か
みつけられんぼ
さがすこちらは
あらあらなんでと思うのだけど
いったんかくれて
でてくる子どもたちの
うれしそうな顔を見ていると
そういう遊びなんだと
思わずにいられない
「かくれんぼ」
みつけてくれた時の
うれしい気持ちがわかるこの頃
かくれていたつもりはないのだけど
子どもと過ごす日々にもぐりこみ
人と会わなくなっていた
子どもがひとりで遊ぶようになり
まわりに誰もいないことに気がつく
そして、やっと
わたしはここにいますと
ちいさな声でささやいてみる
子どものようにわらって飛び出す勇気もなく
ちいさなちいさな声で
誰か気づいてと思いをこめて
かすかながらも
気持ちのとびらをひらいた時
お久しぶりと連絡をくれる人
一緒にどうとさそってくれる人
ここにいるわたしに気づいてくれる人や
動けなくなっていたわたしを
みつけてくれた人たちがいた
いち、に、さん、し、ご、
ろく、しち、はち、きゅう、じゅう
もう いいかい
まあだ だよ
もう いいかい
もう いいよ
かくれんぼ ではなく
みつけてんぼか
みつけられんぼ
もう かくれていたくはないから
かくれるばんでも
飛び出していこう
「ここにいるよ」って
子どもたちみたいに満面の笑みで
2021.1.30.sat
2021.1.29.fri
木曜日の夜から寒くなるとラジオで言えば、その通りの言う通りでかなり寒い。三寒四温で次の季節がくるのだと思うと、この寒さも少し名残惜しく感じ「さむい、さむい」と余計に言ってみたくなる。
あっぷる あっぱれ あっぷりけ
あっぷる あっぱれ あっぷりけ
いつから着てるのだろう
紺色のカーディガン
ひじの内側あたりがうすれて
みぎに、ひだりに
穴がぽっかりぽっかりあいている
袖口もほころびそうで
買いかえてもいいのだろうけど
紺色のフェルトをまるく切り
子どもの服を繕うように
ひとつふたつと縫ってみる
みぎにふたつ、ひだりにふたつ
そしてまた、ひだりにもうひとつで
両方あわせて いつつのまる
もうすててもいいんちゃう
わたしの中のひとりが言うと
こんなんもおもしろいやんと
もうひとりが言いかえし
あっぷる あっぱれ あっぷりけ
あっぷる あっぱれ あっぷりけ
なんだかわからない言葉が
頭のなかをめぐりだす
「あっぷる あっぱれ あっぷりけ」
ぼそりと口にしてみると
わたしのなにかが、ぱちんとはじけ
まるまるまるのカーディガンは
新たなものに うまれかわった
2021.1.29.fri
どうしようかとなやむことがあり
気持ちがすっきりしない
息をついても何もでていかないから
おもての落ち葉を掃くことにする
ピンクで綺麗な山茶花も
箒で集めれば気持ちの中の石ころと同じ
たまった落ち葉をとりのぞき
すっきりしたかと溝に問うが
わたしを見上げて言うのには
「本当の姿ってどんなだろう」
掃いても、掃いても、落ち葉は散って
いつかはふりだしに戻るなら
季節だからと箒をおいて
「なるようになる」と
くちずさむのがいいのだろう
2021.1.28.thu
2021.1.28.thu
昨日の夜、お風呂に入っていて気づいたこと。「ギョエー、ギュイー」あ、あの声は。そう、ご近所さん神社の御神木に帰ってきた。また、賑やかな日々がはじまる。
母の髪を切る
後ろの髪が首にかかるのが
気持ち悪いのだけど
美容院に行くほどではないからと
母に手渡された裁ちばさみ
いざ切ろうとすると
ずしっと重みを感じる
白に黒がまじる髪
本当は直毛だけど
ずっとパーマをあてているから
くりっとまるまる
思った以上にやわらかいのは
歳のせいなのだろうか
たった五ミリのこと
ハサミを入れるのも五、六回のこと
娘の前髪を切るよりも
いろんなことが頭をよぎる
わたしが小さかった頃
母が切ってくれていた
祖母の髪も母が切っていた
「ありがとう、すっきりした
またたのむわな」と言われたけど
引き受けるのは後ろの髪だけにしておこう
パーマの髪をなんともできないからと言って
でも本当の理由は
母の顔をじっと見つめて
今に向き合う勇気がないから
2021.1.27.wed
2021.1.26.tue.pm
日中晴れて、夕方から雨。それほど寒くなかった。
わらいだす
なんでおかしいの
かげがあそんでるから
ふたつのあたま
おおきいのちいさいの
じてんしゃにのったおやこのかげが
いしがき、かきね、かべからじめんへ
ぼこぼこ、わさわさ、しゅうっといって、
ぺったりこ
かげさんがたのしそうだから
おもしろくってけらけらわらう
からからわらう
だから
かげさんちょうしにのってはしりだす
ぼこぼこ、わさわさ、しゅうのぺったりこ、
ぼこぼこ、わさわさ、しゅうのぺったりこ
もういえについたよ
またあそんでね
しずむあきのひ
おひさまにありがとう
じめんにぺったり
わらいごえをおいていくね
2021.1.26.tue
ここ六年ほど
ずっと書き続けている日記が
一日だけぬけていることに気がづく
日にちを間違えているのか
曜日が間違っているのかもわからない
その一日に何をしていたか思い出せないのだから
なんてことないのだとは思うが
ずっと続けているからの一日ぐらいが
ずっと続けているからこその一日として
気になって仕方ない
わたしの失敗
ただの書き忘れだとわかっていながら
これは誰かか、なにかが
その一日をこっそりとって
どこかにかくしたのかもしれないと考えてみる
じゃあ、なんのために
それをどうするのだろう
その誰かか、なにかは
なんてことない一日を好物にしていて
悲しい一日なら、あまいジャムをつけて
怒っていた一日ならぴりっとした味を楽しむのだろう
でも、わたしだったら喜怒哀楽の「喜」と「楽」が
ほどよい味でおいしそうな気がする
「き」と「らく」、「きらく」か
「気楽」の言葉が
わたしの中にすとんと落ちて
一日ぐらいまあいいかと肩の力がすんとぬける
こんなわたしをみた、誰かか、なにかは
なんだおもしろくないと
なんてことない
ことはない一日を
そっと返しにくるかもしれない
2021.1.25mon
2021.1.25.mon.am
今日は二日ぶりに晴れるらしい。
矢野顕子さんのうたを聴きたくなって
たびたび聴いている
彼と共に歩きだして
10年
結婚のきっかけをくださった
大切な人に会えなくなり
10年
笑顔と光を手に
太陽の人が生まれてきてくれて
5年
歩みの先は
なにもわからないことを思い
わからない
これからに向かって
歩んで行けることに感謝したい
矢野さんのうたは
彼と出会った頃からのすべての輝きを
思い出させてくれる
そして
ここから歩き出すための
あらたな旋律として
わたしのなかに響きはじめる
2021.1.24.sun
2021.1.24.sun.am
昨日は一日、雨。今日も雨の一日になりそう。
娘が寝て
家人が寝て
台所にひとり
流しの上のあかりをひとつ
薄暗い中、目をとじる
ぽとぽと ぴちょ
ぱらぱらぱら ちょろちょろ
ぷちん ぴちゃん ぴちゃん
文字にするにはむずかしい
雨の音を聴きながら
笑って、泣いて
はしって、おどっての
まぶしい一日を思いかえす
ぷちん ぴちゃん ぴちゃん
ぽとぽと ぴちょ
ぱらぱら
ちょろちょろちょろちょろ
布団の中で
わたしと同じく
目をとじる人たち
雨の音につつまれて
まぶしい夢を見ていてほしい
2021.1.23.sat
冬の朝、五時半ごろ
台所にいくと
ごおおとおもたくひびく音
なんの音やろと見わたすと
冷蔵庫がうなってる
「最近いっぱい入れすぎちゃうか」
「たまにはやすませてえな」
「うたうたってんねん、気にせんといて」
十年の付き合い家族もどうぜん
機嫌そこねられてはこまるから
相づち手拍子うちながら
あやしい声に耳をかたむける
2021.1.22.fri
ひとつ、ふたつ、みっつ
おやゆびのあかぎれ
むすめがねてから
いたみだす
大きいの、中くらいの、小さいの
みっつのあかぎれ
そろそろ見てよと
いたみは
わたし自身のこえ
2021.1.21.thu
幼稚園のバスを待つバス停で
あっくんはとにかく一番にバスに乗りたい
バスが来る時間が近づくとまっさきに走っていく
誰かが先に並んでいると押しのけて
自分が一番になろうとする
おしのけられた子は仕方なく後ろにまわり
つかみ合った子はべそをかいて
お母さんの足にしがみつく
そんな様子をみていて
みんながたのしくバスに乗って欲しいと思い
おしのけられた子や
つかみあった子と一緒に
「サンドイッチ」と言ってみんなでくっつき
「なにサンド?」と聞くと
「ピーマンサンド」「パンサンド」
と口々に言って遊ぶようになった
一番をまもっている あっくんは
わらって遊んでいる私たちの方を見ている
体は動けないのだけど
目はかがやき
気持ちがすぐそばまで来ているのが伝わってくる
そのうち、ぎゅっとくっついてきて
「ピーナツサンド」「たまごサンド」と
一緒になってサンドイッチになっていた
もちろん一番の場所はちゃんと守りつつ
あっくんもやっぱり
たのしいが欲しいし
一緒にあそびたい
もう少ししたら
一番よりもいいものがあることに気づくだろうと
たのしいの手まねきをつづけてみたい
2021.1.20.wed
2021.1.19.tue
菜文さんにいただいたきっかけを大切にせねばと鉛筆でノートに文章を書いていると、それを見つけた娘が「なにかいてるの?」と聞いてくる。文章だというと、自分のことは書いているのかと聞く。書いていないというと残念そうにしているので、書いて欲しいのか聞くと書いて欲しいとのこと。
横断歩道をわたる兄と弟
お兄ちゃんは小学校一年か年長
弟は年中か年少ぐらい
空に向かってぴんとのびた手は
自転車にのるわたしの目をとらえた
流されそうな時のなかで
そこだけがきわだって
特別な空気につつまれているように感じた
ほほえましい光景をみて
あたたかな気持ちになりつつ
わたしは薬局へむかった
目的のものをさがしていると
そこにその兄弟も来ていた
見知らぬ土地に来たような
ジャングルの中に迷いこんだような
まわりを警戒しているようなふたり
こそこそと小声ではなす声が聞こえる
「にゅうよくざいって、どこかな。きいてみる?」
そんなふたりに関わりたくなって
「何かさがしてんの?」と声をかけた
「にゅうよくざい」とお兄ちゃんがいって
わたしは、どこかなといいながら店をあるく
あまりうろうろしていては
わたしまで迷い込んでしまいそうだったので
店の人をみつけてきいてみた
こっちやで、と幼い兄弟に
目と指で合図をして
目指す入浴剤にたどりつくと
お兄ちゃんが店員さんに
「ありがとうございました」とお礼といった
そのすぐ後に
買い物かばんをぎゅっとにぎりしめた下の子が
わたしの顔を見上げ、目をしっかり見て
「ありがとうございました」といってくれた
夜、お風呂の準備をしながら彼らのことを思う
どんな入浴剤を買ったのだろう
お母さんはなんていってふたりをむかえたのだろう
お父さんと一緒にお風呂に入り
どんなはなしをしたのだろうかと
ふたりのおかげで
まるで温泉にでもいったように
体のしんまであったまるような
ほかほかの気持ちの一日をすごすことができた
2021.1.19.tue
おたがいさまゲーム
「はやく、はやく」といわないこと
「はやく、はやく」といわせないこと
いったら、まけ
いわせたら、まけ
いつもわらっているのが、かち
きょうのあさの
むすめとのやくそく
2021.1.18.mon
2021.1.17.sun
「和美ちゃんも詩をかきませんか」。ずっと私に刺激をくれる菜文さんからメッセージが届いた。詩、文章、ここの日記も書けていない。竹紙に刺繍で描きたいが、それもできていない。インスタグラムの魔法にかかるまいと思っていたのが、すっかりかかってしまっているこの頃。雲の生まれるところのお伝えがやっと、と思っているが、本当は自分に向き合うことから逃げてしまっている。菜文さんの言葉はとても優しくわたしを誘ってくれた。でも、もし永井さんだったら「畑尾ちゃん、書かなきゃだめだよ」と厳しい言葉をくれる気がする。菜文さんに感謝して、この機会を逃さないよう、わたしも書いてみたい。

『 雲の生まれるところ 』 http://kumonokouba.com/
出版社 BOOKLORE(ブックロア)が運営するオンラインストアです。インターネットのお店だからこそ、より丁寧にお伝えしたいといろいろ工夫をしています。お時間のある時に、ぜひゆっくりご覧ください。
|
詩画集『 九月の朝顔 』
|
畑尾和美 朗読会 『 九月の朝顔 』
![]()
「九月の朝顔」と題して、日々の暮らし、人との出会い、日常の小さな出来事を
2007年より綴っています。今後も朗読というかたちで温度のある言 葉を伝えて
行きたいと考えています。興味をお持ちの方は気軽にご参加ください。 |
言葉の仕事
大阪の越田クリニックさんのホームページで、
山口在住の美術家、保手濱拓さんの絵をいただいて、
二十四節気の言葉を書くお仕事をさせていただきました。
2013年の芒種から2014年の小満までです。どうぞごらんください。 |

『 Fantastic Something 』
(ISBN978-4-9903667-0-4 C0095 ) ¥1575- (税込み)編集/中島恵雄 装幀 /梅田唯史
表紙文字/畑尾和美
私にとって、ものづくりのきっかけとなった小冊子“Fantastic Something”が
BOOKLORE(ブックロア) より一冊の本となって発売されました。 ぜひ、たくさ
んの方に手にとって読んで頂きたいです。
書店でもご注文頂けます。SEWING GALLERYやbeyerでも販売。取り
扱って頂けるお店も募集しております。
詳しくはブックロアのホームページ http://booklorebooks.net/をご覧下さい。
![]() 『ボタンとリボン』[BUTTONS AND BOWS] |
BUTTONS AND BOWS VOL.2 - 笑顔の順 番 -永井宏さん監修の詩の雑誌『ボタンとリボン』の二冊目に詩を掲載して頂き ました。 |
BUTTONS AND BOWS VOL.3WINDCHIME BOOKSより、詩の雑誌『ボタンとリボン』の3冊
目発売されました。今回、マリンガールズのインタ ビューを掲載して頂いてい
ます。 |
THE BOOKS
ミシマ社の『 THE BOOKS -365人の本屋さんがどうしても届けたい「この一冊」-』に、我が本“九月の朝顔”のことを書いて下さってます。本のこと、書店のこと、書店員さんの思い、365頁の何倍も楽しめる本です。見かけた際には、ぜひ手にとってみてください。そして、本をお伝えしてくださる方々の心を感じて下さい。 |
シャムアさんで竹紙の作品販売
大阪北堀江の雑貨カフェ・シャムアさんで竹紙に刺繍をした葉書の大きさの作品や葉書のセットを販売いただいています。いろんな方に、手に取ってごらんいただけると嬉しいです。 |
“村椿菜文 朗読会 at beyer 2009.03.27”
菜文さんと一緒に朗読しています。
どうぞ、動画でご覧下さい。 |
下記は終了しました展示や催しです。参考までにご覧ください。 |
「ぬくもり」 畑尾和美 個展
2015.7.1.wed - 7.12.sun (7/6,7 休) |
雲の生まれるところ at なかなかの森 |
福岡のTOORIさんの催しで、 |
or dans le sableにて、展示と朗読
糸で描き、言葉を綴る展覧会 |
STANDARD BOOKSTOREあべの店、
|
BOOKLORE デザインマルシェに参加します。
2014.11.29.sat 30.sun |
雲の生まれるところ 実店舗
2014.11.9.sun - 11.16.sun (水曜定休) |
『Lei を捧ぐ つなぐ』
沖縄読谷村のパン屋 水円さんの催しに朗読で出演いたします。 |
BOOKLORE「あべの王子みのり市」に出店いたします
2014年10月11日 土曜日 10:00〜15:00 |
451BOOKSにて、小さな展覧会
2014.9.27.sat 28.sunまで、この週末までです。 |
朗読の休日
詩人の小鳩ケンタさんのご提案で開催する朗読会に参加させていただくことになりました。いろんな場所で自分たちの歩みを見つめて活動されている方々とご一緒できることが、とても嬉しいです。「朗読の休日」、朗読にとっての休日。なんだかのんびりした印象です。どんな言葉や声の時間になるのか、今からとても愉しみです。 |
jam jam jam 音楽祭 2014.09.13.sat
10:00-16:00 雨天決行 |
畑尾和美 個展 「 その ひとつ から 」
2014.6.25.wed - 7.07.mon (6/30、7/1休廊) |
simple wood product at UMLAUT
2014年 6/4(水)- 10(火) |
『雲の生まれるところ』at UMLAUT
2013年12/13から18までの6日間、 |
「jumble basket jum' Radio」
先日、公開放送に出演させていただいたラジオの音源を聴かせていただきました。3/31までの期間限定で視聴することができるようですので、もしよろしければ聴いてみてください。 |
星ヶ丘 アート展
2014.2.12 - 3.2 |
本おや古本市
堂島にある書店「本は人生のおやつです!!」さんの古本市にBOOKLOREの本で参加させていただきます。
他に参加される方々は古本を扱っておられる店なのでもちろん古本を出されますが、BOOKLOREからは新書、いつものラインナップを出させていただきます。 |
ZINE 展 - それぞれの本の形 3
ZINEとは、個人の手で構成・デザイン・印刷し、販売までする小冊子のこと。二回目となる今回も、さまざまな分野で活躍中の方々が参加。451ブックス セレクトの全国のZINEも展示販売。 |
『冬の贈りもの展』
新潟長岡市のギャラリーmu-anさんの企画展に畑尾和美(BOOKLORE)として参加させていただきます。 |
BOOKLORE「なかなかの森バザール」に出店いたします
2013年10月7日(月)10:00〜15:00 |
BOOKLORE(ブックロア)
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「 二月の本棚 」−BOOKLORE FAIR−
2013年2月23日(土)〜28日(木) |
SEWING GALLERY の yupu展で
|
大人の絵本教室 「もりのなか」の物語
こども達に人気のあるマリー・ホール・エッツの絵本
「もりのなか」。ラッパを持った少年が森の中で動物たち
と出会う物語のなかに、大人だけ見える物語があります。
絵本のなかに託された彼女の思いを451ブックスの根木さんが
ご案内してくださいます。 |
第2回 JAM JAM JAM 音楽祭 2012
2012.10.6.sat |
『 内山下ブックジャーニー 』
日時:2012.9.17.mon(祝日) 11:00?21:00 |
その ひとつ から![]() 糸で描き、言葉を綴る展覧会 |
『 Tシャツ展 』
2012.6.1.fri - 7.24.tue <二部構成> |
『 雨音を聴きながら 』
2012.6.14.thu - 6.24.sun |
BOOKLORE ブックフェア
2011.10.02 - 11.30 |
個展「 九月の朝顔 」
糸で描き、言葉を綴る展覧会 |
「 九月の朝顔 -声の本- 」
|
心文展 朗読会『 声にのせて 』
心を綴る |
「ひとつの朝に咲く花から 九月の朝顔」
|
「ぽかんと、みあげて」 |
marine girls poetry reading LIVE8/2 sun 18:30 start |
hinatabocco cafe 展2009.06.30- 07.05 |
「笑顔ひとつ - 九月の朝顔 - 」
|
「 のこしたいもの 」
|
「左手も添えて」
|
la voix du vent・fantastic something poetry reading live2008.09.21.sun 15:00 start |
swimy 協同公募企画展 「おんさ」
2008.07.30 - 08.10 |
- 九月の朝顔 -
|
![]() |
いちりん、にりん - 九月の朝顔 -![]()
2008年7月1日?7月13日
|
marine girls poetry reading live at RUSTIC HOUSE日時:2008年6月22日(日) 19:30 start |
九月の朝顔言葉と糸で暮らしを描いた作品展 2008年2月22日?3月6日 |
![]() |
9つの机 展
|
![]() Fantastic Something 表紙原画展 in 松江2001年より北堀江のシャムアで発行している小冊子「Fantastic Something」。 その冊子には、もの
書きを生業にしていない人達の詩や散文が収められています。 9月2日に
Fantastic Somethingをまとめた本がBOOKLOREより発売されました。 その発売を記念して、
Fantastic Something初刊より表紙画を制作し続けている畑尾和美の表紙原画展
をミリバールギャラリーに引き続き松江のsouka ギャラリーにて開催します。 |
![]() Fantastic Something 表紙原画展2001年より北堀江のシャムアで発行している小冊子「Fantastic Something」。 その冊子には、もの
書きを生業にしていない人達の詩や散文が収められています。 9月2日に
Fantastic Somethingをまとめた本がBOOKLOREより発売されます。 その発売を記念して、
Fantastic Something初刊より表紙画を制作し続けている畑尾和美の表紙原画展
をミリバールギャラリーにて開催します。 畑尾和美は身近のものを使い毎回冊
子のテーマに沿った表紙を制作しています。彼女の制作活動はこの表紙画がきっ
かけではじまり、今では各地で個展を開催す るようになりました。そんな彼女
の作家活動の原点から現在までの流れを見てとることのできる作品展です。 |
fantastic somethingfantastic something出版記念 |
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雨の唄2007.6.26.tue - 7.8.sun 11:00-18:00 |
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